唐人町ギター教室では、楽譜が読めない初心者の方からプロを目指している上級者まで、現役プロミュージシャンが丁寧に指導致します

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ギターサロン

 

来たる7月15日 第二回目となる《ギターサロン》を開催する。

 

音楽家が人々に生演奏を提供する際 ご存じのように ”コンサート” という形をとることがほとんどである。コンサート会場ではお客の椅子が ステージに向けて一方方向に並べられ 目と耳がそそがれる。演奏中の客席では 身動きひとつするのも憚られ 演奏の前後には お客も当たり前であるかのように ”拍手” をし 奏者もなんの疑いもなく 儀式的にそれを受け入れる。

 

べつに ”コンサート” という形式を否定したいわけではない。

それはきっと これからまだ何十年も続いていくものにちがいない。

ただ《ひとと生演奏の接し方》は もっといろいろ試行錯誤されてよいのではないか?

そもそも《コンサート》の歴史自体 それほど古いものなのか?

《音楽》という概念自体 西洋から入ってきたわけで その昔 日本では 祭事 儀式の折 鳴っているものは 笛の音(ね)太鼓の音(おと)・・・・つまり《おと》であり 《音楽》ではない。《おと》は その空間 すなわち神に「奉納」するものであり ひとびとはただ それに「立ちあう」のである。

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コンサート・ホールというものも 音楽産業のためにつくられたもの。

客席に入る前の ”受付け” “長い廊下” という装置は お客の気持ちを高めるためにひと役買う。クッションが程好くきいた座席は固定され 演奏が始まる直前 客席は暗く 舞台は明るくなり 音楽に集中する以外の要素は 極力排除される。客の一部は その曲の終わりを知っていることを誇示するため 身構えた状態で 拍手のタイミングをひたすら待ち続けている・・・。

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かなりシニカルに書いてしまったが 「上の文は すべてうそっぱちだ」と断言できるひとが果たしているのだろうか?

それらの装置に身をゆだねることに<ここちよさ>を感じるひとが 一定数いることも勿論わかっている。美術館 映画館 某ラーメン店の仕切り・・・これらの空間に設定された装置のねらいは 共通して「お客を対象物に集中させ それ以外の要素を《邪魔なもの》として排除すること」である。

 

「それらを可能な限りリセットしたら 我々の感じ方にどういう影響があるのだろう?」

これこそが 当ギターサロンの趣旨である。

場所は喫茶店 指定された四時間半つねにギターの生音がひびいている空間 その間お客の出入りは自由 演奏中おしゃべりするもよし 珈琲飲みながら本を読むのもよし ただし拍手は厳禁 奏者に対しリクエストも厳禁 奏者はMC無し お客に忖度した選曲はしないので無調音楽が演奏される可能性もある(つまりBGMではないということ) 《聴く》も《聞こえる》も《聞かない》も お客の自由である空間・・・

 

第一回目を2月23日に開催した折は 7人の方が演奏してくださった他 松下が40曲ほどソロを弾いた

松下は勿論弾く予定だが 今回の目玉はなんといっても あの池田慎司さんが気の向くままソロを聞かせてくれる予定 

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