主催企画や本番演奏がひとつ終ると、以前なら「さあ次は、、」となっていた。
最近はフットワークが重くなった。
ひとつのイヴェントが終わった後も、そのことについて反芻している時間が長い。
ジストニアとコロナで本番が少ないせいかもしれないが、単純に歳をとったせいかもしれない。
うまくいった時の演奏は、記憶に残らない。
終わった後のお客さんの熱い反応だけが自分の中に記録されるが、仮に録音が残っていたとしても、自分のからだから切り離され、まるで他人事のような”よそよそしさ”、”そらぞらしさ”を感じてしまう。
むしろうまくいかなかった時の方が、記憶の中に細部まで刻み込まれ、年月かけて澱のように溜まってゆく。
無論これは私個人の感じ方であって、世のミュージシャンが必ずそう感じているわけではなかろう。
ただいずれにせよ私のこの感じ方が、ジストニア発症と全く無関係とは近頃思えないのである。
自分のキャラクター(感受性)を変えるというのは、なかなか、、、
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姫路から来てくれた山田賢さんとは、今回いろんな話が出来た。
30代前半のエネルギーや好奇心というものはたいしたものだ。
彼の現在の興味は、日本の伝統的なものに対し現代を生きる自分がどのように消化するか、、という方向だが、姫路の風土を通じてそれらを眺めようとしているところにとても共感する。
実感のない大きな話よりも目の前にあるものとの触れ合いを大切にする姿勢は、クラシックよりもフォルクローレの精神に近い。
そんな彼はいまだ”ミュージシャン”としてのプロ活動を行なっていない。
利害から遠く離れたところで自分の好奇心を満たすためだけに、姫路でラジオ番組のプロデューサーをしながら、塾の講師をしながら、こつこつと作曲を続けている。
そして手元には、いまだ音になったことのないたくさんの作品群、、、。
それも素敵な生き方だな、、、と思う。
2022.10.13.