先にことわっておくが、くだらない話である。忙しい方は読まなくてよい。
先月、福岡在住の”あるミュージシャン”とデートした時のことである。
滅多に会う相手ではないので、昼下がりの博多駅阪急ビル6Fの珈琲屋さんで景色を楽しみながら、結局四時間くらい互いに喋りっぱなしであった。
(余談だが彼は私より若く、且つ非常にイケメンなので、周りのテーブルの女性達は彼の存在が気になるらしく、チラチラ視線をおくってくる。それは毎度のことなのだが、日常ではなかなか体験できない現象なだけに、傍から見ていてとても面白い)
演奏のこと、楽器のこと、作曲のこと、体調のこと、、、とめどなく続く会話の中で不意に彼が言った。
「そういえば石田ゆり子さん、クラシックギターやってますよね。ぼく石田ゆり子さん好きなんです。」
それを聞いて私はまったく関係ないことを思わず反射的に返してしまった。
「石田さんのようなひとがクラシックギターを習うのは、僕としては全然違和感がないけど、例えば森高千里さんみたいな人は絶対にクラシックギターを習いには来ないよね。なぜだろう?」
これは「福田進一という名手の演奏に触れる機会があったから、、、」などという単純な理由では勿論ない。
世の中には、クラシックギターという楽器が似合うヒトと似合わないヒトがいる。
そう聞いて「主観で決めつけるんじゃないよ」という方も勿論いることだろう。
確かにそうなのだが、30年以上ギター講師をやっている人間なら、ひとが纏っている空気感だけでそれを感じとれるものだし、逆に感じとれなければプロではない。
これは勘の世界であって理屈じゃないのだよ、ぼうや、、、。
この”空気感”は「大人が纏っている」という条件付きのものだ。それは高校生以下の若者にはまだ感じられないものだし、彼/女らの可能性は大人よりも未知数だから、どんなひとが習いに来ても全く違和感はない。
ひとそれぞれの趣味、価値観などは18歳過ぎると、服装や顔立ち、立ち振る舞いに自然と現れてくるものだ。
職業病の一種だと思うが、天神の街を歩いていて綺麗なひとと擦れ違ったりすると、つい
「このひとがクラシックギターを始める可能性は何パーセントか?」ということを考えたりする。
うちの教室に入会、、、という次元の話では勿論なく「このひとは果たしてクラシックギターと接点を持ちうる人生か?」という視点、、、こういう観察によって、私の勘はさらに研ぎ澄まされてゆくことになる、、、(?)
ちなみに自らクラシックギター教室の門を叩く大人のかたは、ほとんどのひとがはじめから既にクラシックギターが似合う空気感を纏っている。
ひとびとは、趣味の対象を「自分で選べる」と思っているが、実は楽器のほうでも、やるひとを選んでいるものなのである。
『日日是好日』を読んで感動する人は《クラシックギターが似合うひと》
福山雅治さんの五倍以上、石田さんは《クラシックギターが似合うひと》
いずれも偏見に満ちた主観であることは認めるが、私の中では非常に確かなことである。
2022.07.26.
確かに、映画だけでなく、石田ゆり子さんはクラシックギターが合う気がしますね。確かブエノスアイレスの四季とかお好きだとの記事を読んだ記憶があります。
森高さんが弾かれたら、それはそれで何を弾かれるか、どんな音か聴いてみたいですね。
松岡 茂樹さま
おひさしぶりです。私のしょーもない戯言にまでお付き合いくださりありがとうございます。
ところがこの記事の後日、「似合わない」と思っていたタイプの方がうちの教室に入会され、戸惑いつつ(笑)観察中です。