唐人町ギター教室では、楽譜が読めない初心者の方からプロを目指している上級者まで、現役プロミュージシャンが丁寧に指導致します

Blog

ぼくの場合です(その1)

 
 
仮に『ちょうちょ』のメロディーをギターで弾くとなった場合、あなたはどういうことを考え、
または感じるだろうか?
 
 
この問いにはもちろん正解などは無い。
それぞれが好きに弾けばいいのだが、「充実して演奏する」のと「退屈しながら演奏する」の
二択だったとしたら、前者を望む人の方が圧倒的に多いと信じている。
 
 
たとえば私が『ちょうちょ』のメロディーを弾く際、充実して演奏するために以下の三点に
ついては検討することだろう。
 
①音程についての意識
②ハーモニー感
③歌詞と発音の兼ね合い、そしてそれに伴うテンポ
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
 
【①について】
まずメロディーを見てみよう。


楽譜のように Cメジャー(C dur )でこの曲を見た時、主音はドであるがこの曲のメロディー
冒頭は5度音であるソからスタートしている。つまりはこの曲を弾き始める際に音階五番目の
音であるソが内包している固有の”緊張感”からのスタートとなる。
つまり何が言いたいかというと、仮にからだを完全にリラックスした状態で”ソ~ミ~ミ~~”
と弾き始めてしまっては、音程感がまるで無い演奏になってしまうということだ。
 
 
私は《カラダの緊張度》を測る目安として、演奏中は自分のからだを風船のようにとらえて
いる。
すなわち第一音(主音のド)を弾くときは、からだが息を吐ききってリラックスした状態。
第五音(ソ)を弾くときには、発音前にからだの肺のなかに空気を五分目まで溜め込んだ状態を
準備する。
一オクターブ上のドを弾く際には、肺八分目まで空気を溜め込んだからだの状態を準備する。
そのようにして音程の変化に伴う”緊張感の推移”を自然に表出しようと試みている。
 
 
この曲の音程でおもしろいなぁと個人的に思うのは8小節目と16小節目。
つまりこの曲をふたつに分けた時、それぞれの結びの音が第三音である”ミ”になっていること。
仮にこれが”ミ~ミ~ミ~~”ではなく”ド~ド~ド~~”だったら、場面がくっきりと終わった
感じがするのだが、最後ミに落ちることで、ちょうちょがひらひらと空中を漂い、とんでゆく
印象をうまく表している気がするのだ(いや~、ほんとうまい、、、)。
 
(つづく)
 

カテゴリー:

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です