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”質問”とは?(その1)

 
ものごとへの興味や素朴な疑問、知的欲求を満たそうとする好奇心、、、
そういったことから純粋に立ちのぼってくる質問は、ある種の”温度”があり、質問される側も
答え易い。
ところが世の中見渡してみると、”質問”というものは常にそういうものだとは限らないようで
ある。 スポーツや将棋などの勝者に対する、あるいは自然災害の被災地におけるインタビュー
等でのメディア側の”質問”の内容が「あまりにおバカすぎる」と、ここ最近批判にさらされて
いる状況を見ていると、確かにそれらの多くは《お仕事の体裁を整えるための質問》であって
「一個人として本当にその質問に対する返答が欲しいのか?」
と思えるものが多々ある気がする。
 
 
いかにも公(おおやけ)を代表したような質問をしなければ、、、と考えるメディア側の立場も
確かにあろう。しかしインタビューアー(質問者)が”個人の気持ち”を離れ、公であろうと
すればするほど、”質問”は空々しくツマラナイものとなり、聞かれた側にとってもお決まりの
「応援してくださってるファンの皆様の為にもがんばります。」
とか
「とにかく一日も早く無事で帰ってきて欲しい。」
としか答えようがなかったりする。やはりそれらは質問というよりは、メディア側がお仕事を
無事終わらせるために相手に無理やりコメントを強要した結果でしかない。
 
 
「あなたのように素晴らしい音を出すにはどのように日々心がければよいのでしょう?」
「よい音楽とはなんでしょう?」
世界的に活躍するギタリストのマスタークラス(公開レッスン)の最後の質問コーナーで
時折投げかけられる言葉である。
これはおそらく質問者が「公の為に、、、」と気を利かせた挙げ句、空回りしている一つの例
とも言える。そこで哲学的な一言でも引き出せれば、公のために貢献出来た質問者は満足するで
あろうが、いきなり「人生とは?」みたいに的のデカすぎる問いを突きつけられたら
「この短い時間で答えられるわけねえだろー!」となるのが普通である。
ちなみに、ある現場で、ある世界的ギタリストはこう答えた。
「いや、、、、だから、、、その”よい音楽”とか”素晴らしい音”をどのように実現するかを
今日は半日かけてみんなで勉強してきたんじゃないの、、、、」
 
 
自然発生的なものでない限り、”質問する”ということは難しい。
【公のための質問】を試みるよりは、見栄を張らず自分の中から湧き出た素朴で純粋な
【私のための質問】をした方が、おそらく”目からウロコ”な答えが返ってくる可能性が高い。
そしてそういったやりとりの方が、公にとっても結果はるかに有益な時間となる。
 
(つづく)
 

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