2016年が暮れようとしている。
毎年いろいろあるのだが、今年は本当にいろいろとあった(笑&ためいき)。
25日に教室の発表会を終え(出演された皆様、おつかれさまでした~!)、27日に
レッスンおさめもした現在、来年の準備に追われている。
でもこの年末こそは『教室の大掃除』がんばるぞ~っ!!
今年の思い出は、なんといっても5月の自主企画イベント『C,J,Fx2G~しあわせの架け橋』に
つきる。
開催にご協力いただいた、そして当日ご来場くださったおひとりおひとりから本当に強い
エネルギーを分けていただいた。
そしてあの日、事前の準備からは想像も出来ない「しあわせの架け橋」が、大きくかかったのを
私は感じたのである。
企画を始めた2015年10月からすでに公言していたように、五月のこのイベントをもって
”私の2016年” は終わり、あとはおまけ(もしくは余韻)として、心静かに残りの
2016年を過ごすつもり、、、だった。
だが人生そう甘くはなかった。
2016年、残りの下半期の方でまさかこんなに七転八倒する羽目になるとは、予測出来
なかった。とても”おまけ”どころの話ではない。
でもこういうことがきっと人間的成長を促すのだろう。
私にとっての2016年は、総括すると良くも悪くも『信頼』の二文字を突きつけられ、たえず
揺れ動いた一年であった気がする。
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前々から思っていたが、今年の活動を通じて特に確信したことがある。
私がまだ20代の頃は、とにかく『ギター』をうまくなろうと必死であった。
自分の可能性と限界を見極めるべく、様々なテクニックや音楽に向かっていった。
30代の頃は、ギターを弾くことよりも『音楽そのもの』が重要であった。
自分にとって『音楽』というものが一番大切で、私自身が『音楽を神とする宗教』の一信者で
あった。
それが40代半ばを超えた今、『ギター』『音楽』よりも、その時その場に居るひとが共有して
いる『空間』や『時間』の方がより重要であり、尊いものだと感じるようになっている。
言ってみれば『ギター』や『音楽』は、そのためのカスガイのようなもので(カスガイなりに
大切だとは思うが)、以前のようなストイックさを現在『ギター』や『音楽』に感じたり求め
たりはしていない。
そして結果そのように捉えることで、全体の中の『音楽』、そしてその中の『ギター』という
ものに対して、より身近な愛着を感じられるようになった。
そしてその”私なりの感じ方”を強く肯定してくれたのが、ほかならぬ【私にとっての
2016年】であった。
皆様にとりまして2017年が素晴らしい一年となりますように。
それではよいお年を
本年も、素敵なコンサート、ライブ沢山楽しませていただきました。
また、合奏含めご指導いただき、ありがとうございます。
聞くは「受動」な行為なと思っていましたが、そうではないのかも、と感じる近頃でございます。
なにより、先生に機会をいただき、得難い経験をさせていただいた年でもありました。
深く感謝しております。
ありがとうございます。
来る年、また色んな景色を見て、感じていきたいと思います。
Hongouさま
今年もいろいろとお世話になりありがとうございました。
エストレージャ合奏団の忘年会で出た話の延長(というか私なりの結論)になりますが、生徒さんが「ギター」や「音楽」もしくは「合奏」「演奏」を好きでない場合、もしくは好きになれない場合は、そこを「何とかしてくれ」と言われても私には何ともしようがありません。
生徒さんが「それらのことが好きだという前提」で、皆さんのお力になれることはあると思いますし、あるように努力、研鑽を積んでいくつもりです。
その点に関しHongouさんには全然心配しておりません(笑)。
来年もよろしくお願いします。