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『マズルカーショーロ』の周りで(その1)

 
随分あいだが空いて、久しぶりのブログである。
 
言いたいことが無い時は、やはり人間黙っておいたほうがよいのよね。
”キンモクはチン”
と昔から言われるではないか。
 
なぜ世の中、どうでもいい無駄な芸能ニュースなどであふれかえっているかというと、マス
メディアはその仕事の性格上として”沈黙”が許されないからである。
テレビのニュース番組で、「今日のニュースはありません」と言ったらそれはそれで面白いと
思うが、、、。
(実際の需要がどのくらいあるのか知らないで言っているが)某スポーツ紙などはこの一年
記事に窮するたびに『堀ちえみさんの体調問題』を出してくる気がする。どっちにしろなにかを
発信し続けないといけない仕事は大変だ。
 
冷静に見ていると身のまわりのほうが芸能界以上に、ヴァラエティ豊かな”体調問題”や
”出来事”に囲まれていると私は思う。だが”自分事”になると難儀だと感じるが故に、
”ひとごと”である芸能界は、世の人にとって《ひとごとだからこそ》の存在価値があるの
だろうか?
よくわからない、、、、
いずれにせよ芸能界というのは”ひとごと”の象徴なのかもしれない。
 
私を含めたアホな人間がどんどん発信できる時代になったから、芸能界もいろいろ大変だろう。
ちなみに私のブログは仕事ではないし、責任感も背負っていない。
書きたいときに書くので、ひまつぶしにでも読みたいひとが読みたいときに読んでくだされば
それでいい。
 
 
エイトル・ヴィラ=ロボス (1887~1959)の初期ギター作品『ブラジル民謡組曲』の第一曲目
「マズルカ-ショーロ」をレッスンに持ってこられる割合が今年は多かった。
なぜだろう、、、だれか有名ギタリストがここ最近弾いてるのかな?
世の中の動きにうとい私にはよくわからないが、立て続けにレッスン出来るということは
その曲をじっくりと見ることができる、あるいは細かく分析できるチャンスも豊富にあると
いうこと。で、レッスンしながら楽譜を見ていて、10年前には気付かなかったことや、逆に
10年前には疑問に思ってなかったのに、今の私には大きな謎として立ちはだかることなど
覚え書きとして書いておきたい。
もちろん大雑把な主観といつもの偏見に満ち満ちた”松下流アナリーゼ”である。
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楽譜には書かれていない”楽譜周辺のこと”から話し始めてみたい。
 
【”組曲”についてざっと、、、】
ヨーロッパ各国のダンス音楽をひとセットにまとめたものを”組曲”と呼ぶ。
「ダンス音楽で味わうヨーロッパ先進諸国の旅」のような感覚とでも言えばいいだろうか。
バロック時代にはこのスタイルの作曲が盛んで、アルマンド(独)クーラント(仏)サラ
バンド(西)ジーグ(英)を骨組みとし、フレンチスタイルであればそこにガヴォット、メヌ
エット、ブーレーなどのフランスのダンス音楽が挿入された。
そして組曲の頭に、もともと即興演奏から発展した音楽スタイルである”プレリュード(前奏
曲)”を置くこともあった。バッハの時代には即興演奏ではなく、きちんと作曲されたもの
だったが、たとえそうであってもプレリュードのキャラクターは残っていた。(すなわち
技巧的に”アルペジオ”や”スケール”などの指慣らし要素が多い。そして巧みな転調技術が展開
される、、、など)
このヴィラ=ロボスの『ブラジル民謡組曲』は、そういった古典組曲の制約を受けることなく
自由なスタイルで作られている。ダンス音楽も4曲目のガボット以外はマズルカ、ショティッ
シュ、ワルツとユニークな選び方をしている。
 
 
【マズルカについて】
さてマズルカであるが、ご存知のように F.ショパンの生まれ故郷ポーランドを代表する民族
舞踏のひとつであり、ショパン自身が生涯にわたって作曲に力を注いだ分野である。
その珠玉の作品群『マズルカ集』は、多くの作曲家を魅了したが、ギタリスト作曲家も例外では
なかった。
マズルカ大好きギタリストの筆頭として挙げられるのはやはり F.タレガであろう。タレガの場合
マズルカというよりは”ショパン命”(ちょっと古い?)の流れかもしれないが、ともかく作品量
としては多い。ほかに M.リョベート、A.バリオス、J.S.サグレラス(さらに古くは F.ソル、L.レニャーニ、J.ブロカ)などが、マズルカのギター曲を残しているギタリストだと記憶している。
 
 
一方で私が気になるのは、ギタリストでない一般作曲家によるギター・マズルカ曲も、同じ時期に
多数発表されている事実である。世界中がショパンのマズルカに魅了され、影響として消化し、積極的に再創作されていった時期が、ショパンの死(1849年)から50年以上経った1900年代初頭だと考えた時、音楽というものが普及し、影響を及ぼし、消化され、また世に出てくるといった一連のフィードバック現象を起こすまでに、当時は50年以上の歳月を要した、ということであろう。
 
 
少々脱線した。
当時一般作曲家によるギター曲の創作は、ギタリスト A.セゴヴィアによる功績が大であったが、
以下一般作曲家の手による代表的なギター・マズルカ作品を挙げると、、、
 
*マズルカ-ショーロ(1908)~H.ヴィラ=ロボス
*マズルカ(1925)~A.タンスマン
*マズルカ(1932)~M.M.ポンセ
 
といったところ。
 
 
これら三曲は先に挙げたギタリスト作曲家の手によるマズルカとは明らかに質が違う。
どちらが優れている、劣っている、、、などの話ではない。
ただ”性質が違う”としか言いようがないのである。
「ショパンのマズルカのどこにあこがれているか?」
その視点の違いとも言えるかもしれないが、後者の方がギター曲でありながらも当然”ピアニス
ティック”な筆致で書かれている。前者の作品群は「弦楽器ギターの素朴な良さ」もしくは
「ギター的名人芸」が堪能しやすいという、いずれにしても主旋律の歌いまわしのツボを考慮
してある作曲といえる。
 
 
そしてさきほどは後者のグループ群に含めてしまったが、じつはヴィラ=ロボスの「マズルカ-
ショーロ」は、その中間を埋めるおいしい作品なのである。
 
 
(つづく)
 
2020.12.01.
 

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