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有名人

 
「有名である」というのは本当に大変なことのようである。
 
 
特に今の時代、有名人がちょっと街中を歩いて家に帰り着いただけで『目撃情報』があっという
間に拡散され一人歩きする。
「今日昼間福岡市内のレストランで王監督が食事をしていた。」
「長崎市内の郵便局で山下和仁を見かけた。」
とかいう感じで、、、。
個人が情報を発信する時代になって、そういった情報も次第に飽和状態になり、価値も
どんどん薄まっていき、やがて『ミーハーな情報』というのは自然消滅してしまうものなの
かしら、、、?
有名人が周りから一切騒がれることなく、人ごみの中を歩いて『街の風景』の一部として溶け込
んでいる状況を想像する時、一体彼ら彼女らは嬉しいのだろうか?それとも寂しいのだろうか?
 
 
今はまったく自然に振る舞えるが、昔若い頃は有名人を目の前にするとやはりドキドキして
いた。たとえその人のファンでなくても、そのひとが《有名である》というだけで、である。
しかしこちらがドギマギして話しかけても大体はろくな会話にならないものである。
そしてその情景をあとで思い起こすたびになんとも悲しい気分になる。
渡辺和津美さんの時がそうだった、、、。
福岡市内のジャズの老舗(現在の場所に移転する前の)旧”ニューコンボ”でソロ・ライヴが
あった時、ロックやジャズに興味のある生徒さん(五つ年下のニイチャン)とふたりで聴きに
行った時のことである。
演奏は今思い出しても記憶の底からはっきりよみがえるほどキョーレツなものだった。
終演後サイン会を遠巻きに見ていた内気な私の背を生徒さんが押しながら言った。
「何か話しかけてみたらいいじゃないですか。こんな機会もうないかもしれませんよ。」
たしかにそうだ、、、。だがサインの列もほぼ終わりがけで、気がつくとその場には香津美さん
と私だけ、、、。
「あ、あの、、、クラシックギターやってます、、、。」CDにサインしてくださってる
うつむき加減の和津美さんにやっと出た最初の言葉がなんとそれだった。
「そうですか」
へ、返事が無表情だ、、、。なにかまずいこと言ったかな。会話が止まったぞ。どうしよ
う、、、。
私はそのライヴの数ヶ月前に、和津美さんが福田進一氏と共演のDVDをリリースされたことを
とっさに思い出した。
「福田進一さんにも時どきレッスンを受けてます。」(べつにこれはウソではない、、)
すると今度はお顔をあげてまぶしそうな(あるいは訝しげな)複雑な表情で私を見ながら
ふたたびおっしゃった。
「そうですか」
が~ん、、、やっぱり声が無表情だ、、、。
「素晴らしい演奏聴かせていただきありがとうございました。」
精一杯の一言を言ってサイン付きのCDを受け取ると、私はその場を逃げるように立ち
去った。
別にあちらはなんとも思ってないのだろうが、こりゃ完全に私の自意識過剰ひとり相撲
だ、、、。
「先生、どうでした。なにかしゃべりましたか?」
私を待っていた生徒さんがニヤニヤしながら近づいてきた。
ここでぶん殴ったら本当にただの《八つ当たり》だよな、、、ちくしょう、、、。
 
 
それ以来、しゃべりたいことも特にないのに有名人に話しかけるような愚はしなくなった。
有名人と同じ空間に身を置いた時、自分の側にある緊張をほぐすため、わざと馴れ馴れしく振る
舞う人も時々見かけるが、あれはあまり美しくない。友人同士っぽい会話をして個人的思い出を
作りたいのは分かるが、たいがいの場合あちらにとっては迷惑であるだろう。
 
 
私の場合、その後ヘンなドギマギや有名人コンプレックスを解消するに至ったのは、ひとえに
”有名でない”すごい人たちと仕事をご一緒したりお話をさせていただいたおかげである。
”すごい人たち”は案外身近に居るもので、そのすごさに気付くかどうかはすべて自分にかかって
いるのだ。そこを通り抜けてあらためて《有名人》を見ると、その業績に対し冷静に敬意を
表することが出来ると同時に、心の底から強く思うのである。
 
「オレ、有名人じゃなくてよかった~!」
 
2016.5.1.

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