過去に取り組んだ曲を振り返って練習することは非常に大事である。
ギターが三年以上続いた人は特にそうである。
なぜならほとんどの生徒さんが、それまでやってきた曲を単に「上達する為の練習曲」と捉えて
いて、“作品”としてそれらの曲にアプローチしてきたわけではないからである。
(ヘンツェのノクターンとかラグリマとかF.カルリやM.カルカッシの小品など、、、)
ここに自分も含めた「音楽教室」全般が抱える、ある重要な問題点が含まれているのである。
つまり生徒さんに「“取り組む曲が変わること”が進歩であり上達の証し」だと錯覚させてしまう
という問題点が、、、。
いまさらではあるがこの機会にここでハッキリと述べておきたい。
「取り組む曲が変わることが上達の証しではない」
もちろんいろんなタイプの曲を経験することは悪いことではない。だが目先の曲を変えることで
充足を得ようとしてもそれは一時的なものであり、結果として行き着くところは“慢性的な消化
不良状態”である。
そしてそういった状態の時ほど、ヒトは思いがちである。
「今取り組んでいる曲ではなく、きっとどこかに“もっと自分に合った曲”があるはずだ」と。
だがそうではない。
今取り組んでいる曲にどのくらい自分を合わせられるか、捧げられるか、、、。
むかし二十代のころ、友人のSくん(現在、私のホームページを管理してくれている)が会話の
中で“恋愛能力”という言葉をしきりと使っていたのを思い出す。
曲との付き合いもじつはこの恋愛能力が求められるのである。
恋愛能力の低い人は、曲にすぐあきてしまう。相手のよいところを見出したり、相手の魅力を
引き出したり出来ないまま、、、。
結論を言うと、ギターを始めて三年以上たった人はすでに自分のパートナー(レパートリー)
となる“たからもの”を手にしている。ただその事実に気付いていないだけだ。
私にとってC.ヘンツェの“ノクターン”とM.ポンセの“我が心の君に”を弾き終えた後の充足感に
なんら違いは無い。
なぜなら私はたとえアンサンブルにおける白玉(二分音符や全音符)の低音であっても充足する
ことが出来るし、それを弾くむずかしさもわかっているからである。
(つづく)
あなたと曲との付き合い方は?(その2)
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ついつい、やはり、難しそうな曲(自分的にです)を弾いてらっしゃる方などお見かけすると、
おおおお、すごい、あんな曲弾きたい。
と思うのは、万年初心者の心理なのですが……。
しかし実際、過去にレッスンしていただいた曲を、ぱらっと教本を捲っても、弾けない自分に先日ちょっと慌ててしまいました。
(あれと、あれと、これと、これ、は好きな曲なので、時折弾きます。)
「曲」として正対し向き合うことを、忘れないようにしたいと思います。
「あんな曲弾きたい!」というのはひょっとして、先日1mのかぶりつき至近距離でたんのうされたレオナルドの演奏をみて思われたのですか?
わたしの場合は「あんな曲弾けない!」でしたので、違う路線で幸せになれる方法を現在模索中です(笑)。
「あんな曲も、あんな風にも弾けない」
というのは、日頃より思っておりますです。
ヘンツェのノクターンとか、ラグリマとか、そういう可愛らしい美しい曲を、大事に弾けるようになりたいと思っています。