唐人町ギター教室では、楽譜が読めない初心者の方からプロを目指している上級者まで、現役プロミュージシャンが丁寧に指導致します

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「所作」から得るもの(その1)

 
最近珈琲に凝っている。
 
数年前から、ある珈琲専門店に出入りし始めたのがきっかけだ。
福岡市中央区けやき通りの最端にある“美美(びみ)”というお店である。
“自家焙煎”“ネル・ドリップ”にこだわったお店として全国の珈琲ファンにその名が知られている
名店である。
 
 
「凝っている」といっても私自身そんなに味の違いがわかる訳ではない。
私の場合、つまるところ“珈琲をおいしく淹れる技術”に興味があるのだ。ただこれがなかなかに
ムズカシイのよ。
美美のマスター森光宗男氏の焙煎する豆は基本“深煎り”のモカであるが、これが抽出に失敗する
と、舌にびりびりと痛みが走るほどの刺激でとても飲めたものではない。
逆にこれをうまく淹れたあかつきには、コクがあって、香り豊かで、スッキリとしたあと味の
最高の一杯が楽しめる(飲み方は無論ブラックである)。
 
 
私が皆様にギターを指導させていただいてる“唐人町教室”では、最近その日の講師の気分に
よっては生徒さんに一杯の珈琲が出される事があるが、ドリップ技術がいまだ未熟なため当たり
はずれが激しい。そろそろ“被害者の会”が出来そうな雰囲気ではあるが、いまのところ本人は
やめる気はない。まさに「空き地のジャイアン・リサイタル」状態である。
 
 
森光さんが焙煎された豆はギターのいわゆる“銘器”と共通する「極上ならではの扱いにくさ」と
いうものが感じられる。
 
美美の入口をくぐり(ふつうの扉なのだが、気分的にこのように表現したくなる)、二階の喫茶
室にあがると、珈琲を淹れる森光さんの真正面カウンター席に最近でこそ向かえる様になったが
はじめの頃は恐れ多くてとてもそんな気分ではなかった。
昭和22年お生まれの森光さんは丸い帽子を被り、諸事ゆったりとした動作で、どんなにお店が
混んでいる時も決してご自分のペースを乱されることなく、ていねいにていねいに珈琲を淹れて
ゆく。
私はいつもカウンター越しに見るその森光さんの「すてきな所作」を眼に焼き付けて帰り、
自分で淹れてみる。するとしばらくの期間うまくいく気がする。しかしある期間を過ぎると、
その感覚はカラダからぬけていってしまうのである。つまり感覚にも“賞味期限”があるのだ。
 
 
なにかの技術を身につける時、この「感覚がぬけていく」ことが過程として必ず起こることを
私は経験上知っている。「ぬけていく」「とり入れる」「ぬけていく」「とり入れる」を何年も
繰り返す事で、微量の「ぬけないもの」が自分の中に沈殿し始め、技術が安定してくる。
ただ今度は沈殿物が増え技術が安定するのと引き換えに、自分の中から柔軟性が失われ始める。
 
 
若者達よ、よく聞いて欲しい。
“自分の中に大量に沈殿したもの”を宝物のように大切にし過ぎたり、それに頼り過ぎたりしない
ことが非常に大事だ。むしろ「しがみつかない」「頼らない」ほうがそれら沈殿物の存在が
おのずと光り輝いてくる結果となる。これも音楽やギターからわたしが経験させて頂いた事だ。
 
 
おっさん臭くなったところでちょっと休憩。
珈琲でも淹れよっと。
うまく入るといいな、、、。
 
(つづく)
 

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“「所作」から得るもの(その1)” への2件のフィードバック

  1. d より:

    http://www.d-department.com/event/event.shtml?id=4254980085883290
    ↑ ↑
    第10回 ふくおかのひと のゲストでいらっしゃるこのお方ですね^^v
    松下先生の入れるストロング珈琲は美味しいと思います。今どきのカフェのコーヒーはパンチがなくていけません^^;;

    • ryuji より:

      ありがとうございます。そうです、このお方、、、。
      森光さんのお師匠は吉祥寺で「もか」というお店をされてた標交紀さんとおっしゃる伝説的なすごい方です(幼稚な表現しか出来ず申し訳ない、、、)。
      標交紀さんの人生を描いた本、<コーヒーの鬼がゆく – 吉祥寺「もか」遺聞 (中公文庫)>を読むと日本の自家焙煎&ネルドリップ珈琲の歩みが面白く理解できてお薦めです。

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