前回のおわりに予告した”遠くない将来”って、翌日のことかいっ!
なぜひと息に書かなかったか、ですって?
そりゃあアナタ、フレーズが長くなりすぎるからですよ、、、
ヴィラさんの「プレリュードNo.1自演」を聴くと、”最終版”である出版譜には書かれることの
なかった、途中段階としての様々なアイディアがそこには盛り込まれている。
この曲の作曲者自演というのは、二つの点でおもしろい。
ひとつはギター奏者ヴィラ-ロボスの思い描いてた演奏ニュアンスを、彼自身が”記譜”として
どう定着させようとしていたか(あるいはさせようとしなかったか)が垣間見える点である。
たとえば同時代のリョベートの譜面に記された細かい指示は、彼自身の演奏もしくはルバート
を、紙の上に必死でとどめようとしたかのような意図がみられる。つまり<自分の演奏>を
録音だけでなく紙にも記録しようとしたのが、「カタルーニャ民謡」などに見られるあの譜面の
姿だということ。
もうひとつのおもしろい点は、曲の構成をはじめ、細かい点も出版譜とかなり違うこと。
仮にこの状態が《製作途中のスケッチ》だったとしても、もし本人が未完成品と思っていたら
レコーディングなどするだろうか?録音年代が不明なのが残念だが、もし仮に最終出版の後の
録音だとしたら「出版後も曲を変更し続けた」ということであり、作曲家ヴィラ-ロボスの
ケースに限り、ギリア説は崩れることになる。
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*【葬られたアイディア】
出版譜2ページ目、一番下の段は自演では譜例のように弾いている。
次はあくまで私個人の仮説だが、ここの上声和音は、作曲当初はこのようなトリッキーな運指の
アイディアであった可能性が大。右指のバランスが難しいっちゃ難しいが、、、。
楽しいので私はこちらを好んで弾いている。
*【へミオラの可能性】
とり方の周期をちょっと変えるだけで、あら不思議 ♪ ってヤツ
<その①>
<その②>
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以上いかかでしたか?
コンクールでやれば間違いなく減点の対象になるし、ご自分の先生の前でやった日には
「そんな子に育てた覚えはない!」
と一喝されるのがオチなので、ご自宅でひとり楽しまれることをおすすめします。
今回のポイントを動画に撮ってみました。
ヴィラーロボス先生は、「これがギターを弾くことだ!」(極めて個人の感想です)みたいな、圧が怖い、強い。ので、なかなか手が出せません。
素敵な曲は、沢山。このビビり感を払拭するには何が必要か。
まいど、悶えます。
運指探しの旅が、大変です。
S.Hongouさま
あ、それわかります。なんとなく男くさいですよね。
マッチョ嗜好というよりは濃厚な”ダンディズム”ありますね。
ロラン・ディアンスにもそういうの感じます。
再読いたしております。今のところ、ピュウモッソが速度をあげることができず、ピュモッソリ(失礼しました)の状態ですが、、。ピュウモッソは音の響きや装飾音をまずは気を付けたいのですが、速度にとらわれると空振りになり。これはやはりゆっくりで確実に弾くことが、回り道のようで近道、、なのでしょうか。
S.hongouさま
最近このテの説明の仕方が自分で気に入らないのですが、敢えてしますと、、、
”空振り”ということは、左手もしくはそのあとの右手の《準備(態勢)》がじゅうぶんでないまま”発音”に飛び込んだことが原因ですので、
ゆっくり確実に弾いてみる、、、そののち、動作を意識する心を徐々に外してゆき、感触の世界で演奏する、、、その感触のままテンポを上げる、、、