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<マスタークラス>でない何か・・・

 

そう・・・どう考えても、厳密な意味でのマスタークラスではなかった先日のイヴェント『マスタークラスへのいざない』が、おかげさまで無事終了した。

 

主催側として《今回やりたくなかったこと》から先に挙げると、

「個人レッスンを公開し、みんなでそれを見て勉強する」的なこと。

あと「運指について」「演奏技術について」「フォームについて」的なこと。

さいわい今回の五名の受講生の皆様は、「この曲のここがどうしても弾けません」という類いの悩みは抱えてらっしゃらないようにお見受けしたので、そちらに話が行くことはなかった。

 

通常のマスタークラスでよく起こる事態「はい、ここから弾いてみて」「う~ん。もう一回・・」「もうちょっとゆっくり・・・」「そうそう!いいですよ・・・」などという時間はとらなかった。つまり《ある個所が弾けない》という受講生の悩みを、アドヴァイスによってリアルタイムで解決するというのは、マスタークラスでは付き物の状況だが、それを一切カットした。だからそれを期待してこられた方には大変申し訳なかったと思っている(いや・・あんまり思っていない・・・笑)。

 

なぜなら、あれは受講生側にはいいかもしれないが、聴講する側にとってほとんど退屈な時間なのである(きゃー言っちゃった・・・)。私が過去に経験した中で、<公開する意味>をちゃんと意識的にとらえていた先生としては福田進一、デイヴィッド・ラッセル、レオ・ブローウェル(以上敬称略)各氏ほか数名しか居られなかった。

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本当はそれよりももっとモヤモヤとした巨大な悩みを、多くの人が抱えているはずだ。それはすなわち

「とりあえず現時点でこんな感じに弾けてるけど、この曲に関して此処から先、何をどう楽しんだらいいのかわからない」

「今、現時点の演奏でなにが足りないのか 自分でわからない」

 

どうだ、図星だろう! なぜなら私自身、ずっとそうだった・・・・

 

ところが、これには正解というものがない。(別な言い方をすれば、正解がたくさんある)いい音楽として成立しさえすれば、ひとと違っていたとしてもそれは自動的に ”いい演奏” だということができる。

《いい音楽》なるものの定義も勿論ない。ただ、それに近づくには、作品そのものに興味を持つことだろう。「いつの時代に書かれたのか?」「当時この作曲家の周りにはどういう作品が存在していたのか?」「当時のその国の社会状況は?」「当時のギターを取り巻く状況は?」「当時のクラシック音楽界を取り巻く状況は?」「作曲家が何歳の時の作品か?」「この作曲家が影響を受けた作曲家は?」「曲の中でどういうアイディアを試しているか?」「曲の形式(フォーム)は?」「フレーズは?アーティキュレーションは?」・・・・そういったことを探ることが、曲を活き活きと演奏するための養分となる。

 

だから、今回は作品と作曲家について、あるいは時代背景についてたくさん話をした。僕が現時点でその作品を演奏する場合には、なにに興味を持って向き合っているのかを、包み隠さず全部公開したつもりである。そしてしつこいようだが、それは決して ”正解” などではない。それをきっかけにしてそれぞれが《自分が腑に落ちる感触》を探していけばいいだけである。

 

イヴェントとしては聴講生ファーストで進めさせていただいた。受講、聴講ともに料金設定を同じにした理由はそこにある。今回よその教室から受講してくださった5名の受講生の皆様、そしてこころよく生徒さんたちを送り出してくださった加藤優太先生、池田慎司先生の御二方には、心から感謝している。

 

今後は<マスタークラス>ではない 別な名前をつけたいな・・・。そしてそれに賛同して来てくださる先生がいらっしゃるかな?

 

「大変有名な、世界中どこへいっても演奏会場を満員にできるような人は、演奏を通じて、今弾いてる音楽について語れる人でなければいけないと思うのだけれど、二、三の例外を除いてはそういう人はもういませんね。本当に、ある意味では、私の人生はすべてそれに費やされてきたとも言えます。(キース・ジャレット)」  『武満徹 対談選』 筑摩書房より

 

 

2026.7.14.

 

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