人間誰しも何かしら足りないよなあ・・・と思うこの頃。
私も勿論、例外ではなく、ねじ1本どころの騒ぎではない。4本も5本も抜けている”アタマのねじ”。
若いころは格好つけてたから、抜けてると思われたくなかった。
でも、どこが抜けてるのか本人は意外とわからないものだろう。
なぜなら「抜けてるかどうか・・」が気になるのは本人ではなく他者のほう。
あるひとから誰かを見た時、「抜けてるな・・・」と思ったりしても、本人は意外と問題にしていないことだから、改善など望むべくもない。
ひとを見て「抜けてるな」と感じても、むやみに指摘したり、教育しようなどとしてはいけない。感情が怒りを伴う時には、たいがい「こいつを教育して変えたい」という思いが無意識のうちに働いていたりする。だから《教育》という言葉は好きではない。
こちらも、周りの皆様からきっと、いろいろ許していただいてるに違いないのだ。そう考えると今お付き合いいただいてる皆様にほんとに感謝の念がわいてくる(どうしたんだ?急に、おれ・・・)。
これまでお会いした方で、ねじが一本も抜けてないひとなど一人も居なかった・・・(ものを投げないでください!)
もし仮に「私はねじが一本たりとも抜けていません」と言ってる人がいたら、私はこう返すだろう。
「そんな言葉が吐けるってこと自体、ねじが抜けてんだよ!」
みんな御互い様なのである。
自分が許してもらっているのだから、ひとにもできるだけやさしく接しましょうね(これは《教育》でも《啓蒙》でもなく、控えめ且つささやかな《提案》である・・・)
2026.7.4.