レッスンのやり方についての話である。もちろんひとによって様々だし正解などないのだが、そのように聞かれた場合わたしはいつも「変わりません」と即答する。
つまり相手によってアドバイスや情報の内容を変えることを決してしない。
「でも表向きではそう言ったって、”プロになりたい”って熱心に頑張ってる若者と主婦の生徒に対してではレッスン内容ちがうでしょ?」これも時々言われることがある。
わたしの場合はいつも「まったく違いはありません」と即答する。本当である。
わたしの目の前にいる人にとって音楽は平等にひらかれている。だから変えない。
ただアドヴァイスや情報を提供する”ペース”は相手を見ながら調整する。相手がなにをどこまで求めているか。今そのアドヴァイスや言葉が必要だ、と感じてないひとに無理やり押し付けることはしない。わたしの「変わりません」を疑っているひとは”ペース”と”内容”の問題を混同しているのだろう。
専門家と愛好家のちがいはなんだろう?これも時々尋ねられることがある。
あくまでわたしが考えてることにすぎないのだが、それぞれが手にする音楽の質や量にちがいがあるとすればそれは”個人”によってであり、「専門家か愛好家か」という”立ち位置”によってではない。愛好家は楽しむためにやっており、専門家はそういうひとを楽しませるためになにが提供できるか?という話だと思っている。
わたしが駆け出しの頃のギター音楽業界は「演奏がうまくできないとプロにはなれない」という漠然とした認識があった。しかもその”演奏”とは「ソロのクオリティ云々、、、」という非常に幅の狭いものであった。
なりたければあなたもたった今からプロになれる。資格のいらない世界で、愛好家を楽しませるためになにを提供できるか?それは演奏の内容であってももちろんいいが、楽しんでいただくためのレッスン、楽しんでいただくためのイヴェント企画、楽しんでいただくための情報提供(「ぼくは出来ないけど出来るひとがあそこにいるよ」などと言えること)、楽しんでいただくための作編曲、要は楽しんでいただくための場をつくるのが専門家の生きる道である、と勝手に思っている。
演奏力や演奏内容はあるに越したことはないかもしれないが、それは専門家としてやっていきたいひとにとってあくまで手ごまのひとつに過ぎない、という話。え?これ聞いて「九州の田舎だからそんな悠長なこと言えるんだ」って思います?大都会のみなさん・・・そうかもね (笑) 。
2026.5.29.