昨日たのしく終えることが出来ました。柳川の会場まで足をお運びくださった皆様、誠にありがとうございました。柳川市民文化会館の根本さん、大橋さん、そしてどスランプ中の私に声をかけてくださり、共に冒険してくださった壇遼さん、松本富有樹さん、そしてなによりもキース・ジャレット本人と彼が残してくれている音、残してくれていることばに心の底から感謝しています。
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今回は二日前からホール・リハさせていただけるというこの上なく贅沢な環境を準備して頂いた。
リハーサル以外の時間はご飯を食べるほか、スマホ持ってない身としては、ホテルの部屋でひたすらほうじ茶を飲んで呼吸するくらいしか過ごしようがなかったが、それも含めて贅沢な時間だった。
「ジャズ通な ”うるさがた” がけっこう来ますよ~」と根本さんからさんざん脅されていたが、フタを開けてみると演奏中の会場内も、そして終演後のロビーも皆様の雰囲気が終始あたたかく感じられた。
壇さんと松本さん御二方のリハーサルから本番にむけての集中力の持続はすばらしいものだった。わたしが彼女 / 彼等の年齢だった頃とは雲泥の差だ。お二人が演奏するバッハも、リハから本番までずっと素晴らしかった。
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姫路から駆けつけてくれたギタリスト作曲家の山田賢さんが終演後、以下のような感想をくださった。
~ 《キースの個性》を客席が感じやすいのは、むしろクラシック・ミュージシャンがキース作品を採り上げた場合のほうではないか・・・ ~
たしかにジャズ・ミュージシャンが採り上げた場合、仮にそこでアドリブを展開するとしても、そこは【キースを感じる時間】というよりは、【その演者を感じる時間】という要素の方が強くなるだろう。
そう考えると、クラシック・ミュージシャンというのは《作品そのものとしての楽曲全体》をリスペクトすることがベースとなっていて、ジャズ・ミュージシャンは《キースが楽曲の中でやっていること》をリスペクトしているのかもな・・・と思ったりもした。
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今回ひとりで長い時間すごしたホテル部屋からの景色。
西鉄柳川駅の真ん前にあり、時間ごとに列車が入ってき、また出発を繰り返す。
それをひたすらぼーっと見ていた時間。
早朝5時には駅員さんが制服と帽子を身にまとい、ホームの端から端まで歩いてゆく。
こんな早い時間に、もうピシッとして、歩いている。
うすぼんやりと明るくなるにつれ、ホームにひとの数も次第に増えてくる。
ひとのうごきをぼんやりと見ているうちに、なんだか自分もあのひともおんなじだという感じがした。
特別な人間なんていない。
地球上でうごめいている生命体のゆびさきとしては、みんな同じなのかもしれない。
キースもじぶんもトランプも、あのひとも・・・
キース・ジャレットにただ感謝したいのは
純度の高いエネルギーを 音とことばによって放出しつづけてくれたことだ。
2026.4.20.
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【プログラム】
*カントリー(壇ソロ)
*マイ・ソング(壇・松本)
*メモリーズ・オブ・トゥモロー / 砂パートIII (松本・松下)
*ボルドーXI (壇ソロ)
*アイ・ラブズ・ユー・ポーギー <G.ガーシュウィン>(壇・松本)
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*ゴルトベルグ変奏曲よりアリア / フランス組曲よりサラバンド <J,S,バッハ>(壇・松本)
*ハープシコードのためのフゲッタ(壇・松本・松下)
*日時計パートII(壇・松本・松下)
*スピリッツ24(壇・松本・松下)
*シェナンドー <アメリカ民謡>(壇・松本・松下)