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「宣伝と日本人」についての雑感

 
十年ぶりぐらいで髪を短く切った。
生徒さんからは
「心境の変化ですか?」とか
「ふられたんですか?」とか、あるいは
全く気付かれない方も含め、反応はさまざまで面白い。
 
 
理由はいろいろあるが、「リフレッシュしたい」「夏の夜に寝苦しくうっとうしい」の他に
「最近メディアに露出の頻度が高い【芥川賞をとった芸人】が長髪だから」等というくだらない
ものも含まれる。大きなお世話なのは重々承知しているが、顔の表情が【つくられた感じ】で
なんとも不自然に感じるのである。きっとご苦労もされてるだろうし、会って話せばいいひと
かもしれない。見てるこちらは非常に身勝手な受けとめ方をするし、【露出の多い有名人】と
いうのは、見てる人から勝手に好かれたり、勝手に嫌われたりして大変な仕事だ。
 
 
表向きは「ファンの皆様に支えられ、、、」といいながら、本当にそんな<不特定多数>の
気持ちを心配していたら身体が幾つあっても足りない仕事に違いない(わたしは有名じゃない
からわからないが、、、)。
おそらく【本人がその時やりたいこと】と周囲の人のニーズが合致すれば幸せなだけであって
利益をさらに上げる為に関心のない人まで無理に振り向かせようとするからひずみが出てくる。
 
 
個人的な話をすると、ここ数年ミュージシャンとしても主催者としても【おおきなイヴェント】
というものに対する情熱や関心がまるでないから、音楽業界の中で「戦略」とか「マーケティン
グ」等といった言葉を耳にすると非常に胡散臭いものを感じてしまう。
もちろん出演依頼がくれば【おおきなイヴェント】でもなんでも出る気はあるし、心の準備も
あるが(あるんかい!)、自分でやるものに関しては【自分のキャパシティに見合ったもの】に
丁寧に取り組み、自分が呼んだお客様に対し確実に手渡したいと思っている。
 
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前回の記事のなかで
「世の中で売れているものに関しては本能的に距離を置こうとする私」
ということをチラッと書いたが、もちろん売れているものが駄目だと思ってるのではない。
「それが売れてること」と「その内容やクオリティ」はまた別の次元の話だ。
ただメディアの強力な宣伝力によって販売初期に生じる熱狂や混乱から距離を置きたいだけ
なのだ。その「お祭り騒ぎ状態」そのものが好き、というひとも勿論多いと思う。
商品そのものよりは「みんなが騒いでるもの」に対する関心、、、。
 
 
数年前、一世を風靡しあっという間に消えていった「焼き立てメロンパン」。
アレを購入するために三十分や一時間並んだことはなかったが、たべものとしては個人的には
結構好きだった。しかし「焼き立て」を維持する為にあの「お祭り騒ぎ状態」が必須条件と
いうのは商品としてあまりにもろい(もちろんそこまで計算の上だろうが、、、)。
今でも【時々】食べたくなる。時々では駄目らしい。
 
ちなみに音楽とは「時間をかけて持続する」ものである。
 
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様々な民族の人が乗った豪華客船が沈没しそうになる。それぞれの乗客を海に飛び込ませるには
どのように声をかければいいか?
 
 
ロシア人(海の方を指して)「あっちにウォッカが流れていますよ」
イタリア人「海で美女が泳いでいます」
フランス人「決して海には飛び込まないでください」
イギリス人「こういうときにこそ紳士は海に飛び込むものです」
ドイツ人「規則ですから飛び込んでください」
アメリカ人「今飛び込めば貴方はヒーローになれるでしょう」
中国人「おいしい食材が泳いでいますよ」
日本人「みなさん飛び込んでいますよ」
韓国人「日本人はもう飛び込んでいますよ」
 
【エスニックジョーク】ウィキペディアより
 
2015.8.28.

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“「宣伝と日本人」についての雑感” への2件のフィードバック

  1. kumi より:

    中途半端やね~(笑)
    坊主やろうっっ!!

    • ryuji より:

      kumiさんへ
      (笑)中学陸上部時代、坊主でしたが、、、じ、じつは絶壁でして。

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