唐人町ギター教室では、楽譜が読めない初心者の方からプロを目指している上級者まで、現役プロミュージシャンが丁寧に指導致します

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近頃の新感覚

 
今回もとっても個人的な話で申し訳ない、、、。
 
でも最近「ブログは所詮わたしのひとりごとにすぎない」ことをよく自覚してるので私のアホ話
に対し世間さまの反応がまったく得られなくとも全然平気であるし、本当は「申し訳ない」
とも思っていない。ボクってとっても嘘つきなの、、、。
 
 
話を戻そう。近頃、朝起きたときの感覚が何とも言えないのである。
爽快な目覚めでもなければ不快なわけでもない。
目覚めた瞬間、「ああ、そうか、、、今日も生きるんだな、、、今日も生きていいと許可されて
いるんだな。」という感覚というか感情というか、、、。
30代のころはこんなのはなかった。睡眠はあくまで休息であり、昨日と今日が繋がっている事
自体に何の疑いももっていなかった。
ところが近頃は違う。
睡眠を終え目覚めた瞬間、黄泉からかえってきたかのようなそんな感覚で朝を迎えるのである。
どうしちゃったんだろう、、、というほどに心配をしている訳ではない。因みにボクってとって
も嘘つきなの、、、。
 
 
ここ数年、介護施設で寝たきりの父の姿を見ている影響かもしれない。
生に対する執着もなく、かといって別に死に急ぎたい訳でもなく、自分の寿命のおもいがけない
永さに対し、ただ戸惑っているようにも見える。
自らの意思で生をつかんでいるというよりは、見えない力によって今日も「生きることを許可
されている」といったおもむきの父なのである。
 
 
ミュージシャンおよびギタリストとしての活動を今まさに始めようとしている、最近そんな若者
達の頼もしい姿に囲まれ心強い反面、彼らの為にどうやってこれから自分の身を消してゆくのが
望ましいか、を本気で考えたりしている。
海岸に落ちているプラスチックの容器のようにいつまでもゴミとしてころがるくらいなら、
若い人の為に少しでも栄養分のある土になりたい。
「20代の頃と変わらぬ技術を維持し、生涯現役で居たい」などとはさらさら思わないし、
そこまで強欲ではない。
それよりも歳を経ることで次第に出来ることが減っていき、最後の方はアンサンブルでバスだけ
弾いたりして、特にスポットを浴びるでもなく、「でもあの松下爺さんの音があると何となく
落ち着くよな」とか思っていただけたなら結構である(私の妄想コーナーおわり)。んでもって
最後は弾かなくなったっていいと思う。
そっちのほうが「生涯現役」などと肩肘張るより自然じゃなかろうか。
 
 
日々の練習にしても一体何のためにやっているのだろうか。
本当にそれだけの量の練習が必要なのか?
ただその日に「自分が弾けた」ことを証明し、その日の安眠を手に入れたいだけのことじゃ
なかろうか。
翌朝目覚めた時は、前の日の練習で得たはずの【安心】はどこかへ四散してしまっているのだ。
昨日から今日へ、今日から明日へと持ち越せることなんて実際どのくらいあるものだろう。
やはり【今この時】を大切にしたい。
若者達のよい肥やしとなる事を目指して、、、。
 
 
因みに繰り返しますが、、、ボクってとっても嘘つきなの、、、、うふっ。
 
2015.8.7.
 

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