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低音奏者に捧げるオマージュ(その2)

 
 
~試しに一度誰かヴァイオリニストを捕まえて、コンチェルトかソナタのヴァイオリン・パート
を歌いながら、バスを弾かせてみてごらんなさい。かなりなヴァイオリニストでさえもそれが
できないことに気づくはずです。彼らもその事実を認めなくちゃいけませんね~
「ナディア・ブーランジェとの対話/ブルノー・モンサンジャン著(音楽之友社)」より
 
 
 
メロディー奏者の表現の基礎、基盤というものは、本来バスの上に成り立っている、というのが
西洋音楽である。
つまり「低音奏者(および伴奏者)が演奏表現をどうアプローチしたか」を聴きとりながら
メロディーの表現はその都度決定されていく、というのが西洋音楽本来のあり方のはずなので
ある。
ところが歌手や旋律楽器の人にわりあい多いのが、「わたしは家でこういう風に練習してきたし
コンサート当日でもこう弾くって決めてるので、それに合う伴奏を付けて下さい。」という姿勢
のひと、、、(あんた、そんなこと書いてたらこの業界から干されますがな)。
そもそも<伴奏>という日本語のイメージ自体が、なんかよろしくない気がする。
日本語を変えちまえ!(なんかいいのないですか?広く募集しています)
 
 
 
数年前、合唱界のマエストロである英国人のボブ・チルコットさんが福岡の合唱団のご指導に
来られた折、うしろで見学させていただいたが、わたしがその日もっとも印象的だった言葉は
彼がバス・パートにアドヴァイスを与えた後、他のパートの方を向いてこう言ったのである。
「皆さん、あくまでバスが基本です。だからバス・パートが音程を間違えたら、そのときは
皆さんも一緒に間違えて下さい。(一同笑)」
 
 
ただこれはあくまで「西洋音楽」もしくは「西洋音楽をルーツのひとつとして持ち、発展して
きた音楽」の価値観であって、それとは違う価値観の民族音楽ももちろん存在する。
例えば中国の京劇に付けられている音の価値観などは西洋とは明らかに別種のものである。
(正義は高い声でうたい、悪は低い声でうたうという構図が非常にハッキリとしている。)
だがよく言われるように、バロックの時代の西洋音楽においてはバス奏者およびチェンバロ、
リュートなどの通奏低音奏者がアンサンブルにおいてリーダー的役割を担っていたのである。
つまり低音奏者が一番偉かったのだ!
 
 
ロックバンドにおけるベーシストの立場は、そのスタートの時点で「ある悲哀」を背負っている
場合が多い。いわゆるこんなシチュエーションである。
「高校時代、友だち4人でバンドを組もうと集まったら全員ギター、、、(笑)。
しょうがないんで一番ルックスのいいヤツをヴォーカルに。一番太ってるやつをドラマーに。
残ったふたりのうちうまいヤツをギターに。ヘタいヤツをベースに、、、」
現在ベーシストとして活動しているひとの過去を掘り下げていくと、じつは意外に多いケース
なのでこの辺の話は出来るだけ触れずにそっとしておいたほうが良い。
 
 
しかしロックの世界でもメンバーはしだいに気づき始める。
(その4人バンド編成を例にとるなら)ヴォーカルはいわばそのバンドの、<かお>である。
ドラマーはそのバンドの<心臓>で、ベーシストはそのバンドの<ほね>である。
ギタリストは?
う~ん、まあ、そうねえ~、、、そのバンドをひとりのにんげんと見立てて考えると
<着ている服およびメイク>みたいなもんだろうか、、、、。
 
 
~ドラムという楽器は、誰が叩いても、お客さんは拍手するんだよ。そういう楽器なんだよ。
だから、お客さんに受けたからといって、喜んでいるだけではだめだよ。ベースやピアノは、
すごくうまくても、あまり拍手をもらえないことがあるけど、がっかりしてはいけないよ。~
「破天の人・韓国のスーパーアーティスト金大煥 /大倉正之助著(アートン)」
 
 
 
クラシックギターの世界には<ギター合奏>という分野があるが、普段はソロ演奏ばかりを鍛錬
しがちなクラシックギターの世界にとって、音楽一般の演奏形態としてはむしろ標準的な
<アンサンブル>という「他者との共同作業」が体験できる場としてわたしは推奨している。
ところが日頃ソロ演奏で低音域から高音域まで駆け巡っているひとが「低音パート」を任され、
白玉(つまり二部音符や全音符)の多いパート譜をわたされた時、プライドを傷付けられた、と
でも言いたげに「こんなカンタンなアレンジでわたし達をバカにしてるよね」などという発言が
飛び出すこと自体わたしには信じ難い。(うちの合奏団ではないが、よその合奏団に関して特に
リーダー格のひとがそういう発言をするのを以前よく耳にした)
 
高音域で音数が多い、イコール難易度が高く上級レベル。
低音域で音数が少ない、イコール簡単で初級レベル。
 
のような幼稚な認識はこの際あらためよう。
そういうひとたちこそ、無駄に自己主張もせずいつもただもくもくと全体を支えることに身体を
張っている<低音奏者のサウンド>に心の耳を傾けていただきたい。
音の景色ががらりと変わってゆたかになるはずである。
 
 
 
(おわり)
 

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