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緊急舞台(その2)

 
舞台というものは、”緊急”だからといって必ずしも緊張するわけではないし、”前準備に一年を
費やした”からといって当日緊張しないわけでもない。
『ステージをむかえるまでの時間』と『緊張』は、じつはそこまで関係があるわけではない。
 
前回のブログ後半の「キューバでのエピソード」は、巨匠の魔法の一言により、分をわきまえた
私が一気に等身大の自分を取り戻し、準備期間の短さの割には”冷静に”舞台をつとめた例
である。
「当夜の演奏内容を覚えていないなら”冷静”とは言えないじゃないか」
というツッコミがどこからか聞こえてきそうだが、まあ待ちたまえ、、、ユーは分かって
いない。演奏というものはうまくいったときほど記憶に残らないものなのだよ。
「忘れてしまいたいような演奏」をしてしまった時の記憶ほど、自分の中にその演奏時の精神
状態やひどかった内容が鮮明に残るものなのだ。
 
つまり現在の私は、過去の自分がしでかした『ひどすぎる演奏の記憶』に囲まれるようにして
生きている(笑)。小学6年生の発表会の折、演奏したF.ソルの『ワルツOp.32-2』Eマイナー
部分の最後のトニックを間違えてメジャーで弾いてしまったビターな記憶は、削除したくても
出来ないのだ。
いいかな、ちびっこ諸君。そういう過去の失敗の残骸の中で満身創痍でへらへら笑っていられる
人間じゃないとプロとして活動は出来ないのだよ。だから私を見て「ミュージシャンって簡単に
なれそう、、、」などと勘違いをする前に、ほかの道を全力であたってくれ。で、残された道が
何もなかったら、その時初めてうちに来なさい。
マネージャーとして雇ってあげるから、、、。
 
「何も覚えていないんだ」とバーンスタインが言ったのも、彼が緊張して舞い上がっていたから
ではない、と私は思う。つまりその日、記憶に残らないほど彼は演奏全体を通じて絶好調だった
のだ。
「じゃあ演奏の好調時の記憶が自分の中に残らないんだったらミュージシャンなんてつまらない
仕事じゃないか」
たしかにそうかもしれない。絶好調の演奏の記憶は自分の中に残らない。だがそんなとき唯一
感触として残るのが『お客様の反応』なのである。
「あれはきっといいコンサートだったんだ」とミュージシャンが記憶に刻めるのは、終演後
帰っていくお客様の笑顔だったり、会場全体を包むあたたかい雰囲気のおかげだったりする。
 
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私にとって”緊急”な演奏の他の思い出は、(以前にも書いたことがあるが)フルート奏者である
故齊藤賀雄先生の室内楽講座(通称:音泉講座)に初めて参加させていただいた折のことだ。
講座の前日にF.シューベルト作曲「アルペジョーネ・ソナタ第一楽章」の伴奏を急きょ依頼され
たのだ。第一楽章だけで12分以上ある大曲である。曲は知っているが弾いたことはまるで
なかった。コンサートのステージではなかったが、初めてお会いする先生の前で、初めてお会い
する受講生(この時はヴィオラの方だった)と共に演奏しなければならない、、、。
 
ただキューバの時と気持ちの上で多少違ったのは、「今回の取り組み次第で自分が向上できる」
と取り組む前からはっきり確信できたこと。
そして《一日の練習》によって、レッスンを受けられるレヴェルまであの大曲を準備出来たこと
は、その後私の中で大きな財産となった。
難局を乗り切るための準備段階で『もっとも必要なもの』は何か、ということを身をもって
知ったのである。
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今回のブログは、あるYAHOO!記事に触発されて書き始めたのだが、そもそもその記事の
テーマとなっている「緊急舞台の代役を務めることのメリット」に対する《違う角度からの
見解》も載せてこの連載を終えたいと思う。
私の大好きなジャズ・ギタリスト、パット・マルティーノのインタビューからの抜粋である。
 
「実は彼(ウェス・モンゴメリー)が亡くなったその日に、フィラデルフィアでウェスのショウが予定されていて、代役を頼まれたんだ。その電話で彼の死を知らされた私は、あまりの悲しみとショックでその仕事を受けることは出来なかった。そして尊敬の念を込めて、誰もその役を受けるべきでないと考えたんだ。」~2007年2月jazz guitar book Vol.12 (シンコーミュージック)より~
 
(おわり)

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