アレンジのアレンジはリアレンジ

 

私の母は、学生の頃から現在に至るまでマリンバを弾いている。

 

 

母が人生の長い期間に渡り、向き合っていることのひとつとしてマリンバがあり、プロには

ならなかったものの”マリンバをすること”が、母の日々の生活に自然に溶け込んでいるのを傍で

見るにつけ、それを単なる”趣味”、”道楽”、”アマチュア”などという安易な言葉で片付けられ

ないことを、私は子どもの頃から理屈ではなく肌で感じていた。

母がもし音楽のプロとして活動していたら、私はおそらく同じ業界にプロとして活動して

いなかっただろうという思いは、何故かずっと私の中にある。

仕事ではなく、純粋に音楽を楽しむ姿を母が見せ続けてくれたからこそ、現在の私がここに

居るのは間違いなかろう。

 

 

まあ、いずれにせよ家の中にあんな馬鹿デカいものがあり、四六時中ポンポンと音を発している

環境が当たり前だったというのは、今振り返るとちょっとおかしい。しかも母の場合、得意

レパートリーが「太陽にほえろ」など、子供の目から見ても明らかに変だった。

”町内の安倍圭子”を夢みている割には、無調音楽などとは全く無縁の世界だった、、、。

 

 

しかし『ロングトーンが苦手』というのは、現在の75歳以上の世代が抱える共通問題として

あり、当時の音楽教育が今に残している克服課題のひとつであろう。

要は《白玉音符をのばしている時》など、”その間どのようにお過ごしか?”という話なのだが、

考え得る症例を挙げると、、、

 

*拍子をとることなく、次に入るタイミングをただひたすら勘に頼っている

*拍子は(本人的には)とっているが、その区間、それまでの演奏と全然関連性の無い

テンポでとっている

*拍子は(本人的には)とっているが、拍のオモテだけ感じながらとっている為、

走り気味になる

*共演者のテンポと自分のテンポをすり合わせる発想がない

 

ざっとこんなところだろうか、、、。

 

 

プロでない高齢者と共演する場合、例えば8分音符や16分音符を弾きっぱなしみたいなところは

むしろアンサンブル上は安全で、危険なのはロングトーン(もしくは長い休止)の次に

「相方がいつお出になるか」。

これに対応できるかどうかが共演者にとって最もスリリングな問題であり、”黒ひげ危機一髪”

をやっているのと同様の緊張に見舞われる。

こちらも”心臓に負担をかけながら”やることになる。

ということは文字通り”命削って”演奏しているということか、、、。

 

 

(息子のホームページなど関心もないので、安心して書いているが)うちの母も例外ではない。

去る今年の6月24日、実家の練習室にご近所の友人を集め、マリンバ&ギターによるジャイアン

さながらのサロンコンサートを開いたが、その日の為に母が選んだ曲の中に有名ラテン・

ナンバー「コーヒー・ルンバ」が入っていた。

そう、あの曲をご存知の方は想像できるであろう。メロディーが小刻みに休憩するたび何が

起こりうるのか。

共演者によっては次のフレーズがアウフタクトでいつ飛び出して来るかわからないあの恐怖感は

まさに”黒ひげ、、、。

 

 

母の為に一応フォローしておくと、彼女が指定したそのアレンジ出版楽譜は、オリジナルの

メロディーにさらにフェイクが加えてあり、とてもモダンでおしゃれに作り込んであった。

言い方を変えると非常にリズムが複雑にされ、難易度が高かったのだ。

だがそれが活きるのもアンサンブルの鉄則である《演奏者個々にリズムキープできる能力》

あっての話。

ほとんど親子喧嘩状態でお互い血圧を上げながらも、妥協案として本来メロディーが休みの

ところで音を弾き続けてもらうよう、その場でマリンバ譜をアレンジした。

「あんた、、、だってそげんなことしてよかとね?」

「いいくさ、、、だってそもそもがアレンジやん!リズム通り弾けんことにはしょうがない」

 

 

母にはこれがショックだったらしい。

”プライドが傷ついた”ということではない。

”楽譜を自分が弾き易いように変える”という発想についてである。

「バッハやベートーベンが書いた楽譜じゃないからいいの!」

私は半ば強引に押し切り、アンサンブル上の問題は8割解決した。

 

 

「アレンジ譜を弾けない」

「でもどうしてもその曲を弾きたい!」

そんな時は”アレンジ譜をアレンジする”という選択肢がある。

ご自分のギターの先生に相談してみてはいかがだろうか?

ただし先生によっては”別料金(気持ちばかりの差し入れ)を払う覚悟”は礼儀として必要

かも、、、(?)

 

 

 

2019.9.14.

 

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ギター界(若い人たちへ)

 

おじさんは時々こんなことを考える、、、。

 

ほんとうに

存在するのか

”ギター界”(五・七・五)

 

 

時折耳にする言葉【クラシックギター界】。

それは”クラシックギター産業”がターゲットとする人たちを便宜上まとめるための呼称であり、

演奏したりレッスンしたりするプロ・ギタリストが実体のないそこに同調というか、疑いを

持たないのは何故だろう。

 

 

プロ・ギタリストにとって大切なのは、その時目の前にいるお客さんであり生徒さん。

それこそが実体として信頼できる唯一のものであり、向き合うべきものである。

(”クラシックギター産業”に積極的に参入したいなら別だが)音楽家としては《ギター界》を

相手にしてはいけない。

 

 

もちろんギターを愛好する人の個々のネットワークや個人的交友は、現実に幾層にも渡って

交錯している。

ただそれら複雑な現実を《ギター界》という言葉で単純にひとくくりにした途端、それは突如

実感を伴わないフワフワしたものと化す。

 

 

あるプロの活動が、ギターを愛好するひとのために”結果として”結びつくことはあるとしても、

それは決して《ギター界》の為に動いたということではない。

なぜならそれは実体のないオバケだからである。

 

2019.9.3.

 

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サラッと、ザラッと、、、

 

高校生の頃の一時期、自分以外のメンバーは全員社会人というバンドに所属していたことが

ある。ロックバンドとしては総勢8~9名の比較的大所帯と言えるバンドだったが、ライヴが

終わるたびにメンバーのひとりから「松下!お前ステージ上でもっと動け」

「突っ立って弾いてんじゃねーよ」とよく怒鳴られていた。

要はノリノリでプレイしているかのような演出を求められたのだ。

それでも私は動くことなく、ギタープレイにひたすら集中し続けた(当時から頑固だった

のか?)。

 

 

だが最近は80年代当時のロックミュージシャンのステージングをyou tubeで観る事が出来る

ものだが、歌手のバックでギタリストとベーシストが横並びで仲良く横揺れの動きをそろえて

いるのを見るにつけ、「そうか、、、これが当時の洗練された最先端の動きだったんだ」

「当時これを俺にさせたかったんだな」と理解すると同時に、

「やらなくてよかったな、、、」とも思ったりするのである(笑)。

 

 

時代や流行と関係ないところでザラッとなまなましく創作されたものは、時代が変わっても、

それそのものが持つ刺激は劣化しない。

一方で時代に適応させ洗練をほどこして作り込んだものほど、時が経つと古臭い。

 

 

巨匠を例に出して申し訳ないが(権威主義的に引き合いに出した訳ではない)、【アンドレス・

セゴヴィアの音】は洗練されたものと粗削りなものの”玉石混合”である。ザラッとした

生々しい(単独で見ると汚い)音がたくさんある中で、時折洗練させた極柔の単音を

”ポ~ゥ!”と響かせる、いわば「ギャップ萌え奏法」。

あの卑怯な奏法で世界中を魅了したセゴヴィアだが、少し先輩や同世代の巨匠演奏を聴くと、

もっとストレートな演奏だったりする(例:M.リョベート、A.バリオス、R.S.デ・ラ・

マーサ)。

当時でもアクの強い”コテコテの方言”ともいえるセゴヴィアの演奏。お叱りを覚悟で敢えて

言うが、決して”洗練された世界”ではない。だがそこが多くの人をひきつける理由のような気が

してならないのである。

 

80年代は総じて洗練の時代であった(あとは”軽さ”の復権。つまり85年にフランスから帰国し

た福田進一氏の持つキャラクターは、時代の要請に非常にマッチしたということなのである)。

セゴヴィア次世代のギタリストたちは、世界中で”脱ロマンティック”な技術を提唱し、合理的

奏法でギターの世界を浄化していった。

結果として”80年代以降の音楽を演奏するにふさわしい”洗練された技術が確立されていった

(それ自体は別に悪いことでも何でもない)。

しかし同時に、ヨーロッパにおいて長きにわたって君臨してきた《ロマン派の演奏スタイル》が

80年代という時代によって「過去の暑苦しいもの」として切り捨てられてしまった感は

否めない。

 

 

ザラッとした一見粗削りなものは意外と時代を超える。

時代に忖度しながら洗練させたものは急激に色褪せる。

そして音楽に限らず、洗練されたものを一度手にしてしまった人は、なかなかそこから離れられ

なくなる。

 

以上が80年代を振り返った時に、個人的になんとなく感じ続けている教訓である。

 

2019.8.25.

 

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Mさんの思い出

 

今回のブログはチョー個人的な内容であることをまずお断りしておく。

 

 

わたしが小学生の頃、父はK大学の助教授(准教授という言葉は当時まだ無かった)を

していた。

その頃の父は、家にゼミの学生たちを集めては頻繁に酒盛りしていた。当時四十代半ばの父には

若い学生たちのエネルギーを受け止めるだけの体力がまだ残っていたのだろう。

 

 

酒が入ってくると、男子学生の何人かは松田聖子や松本伊代のモノマネを披露したり、私の

子供用ギターを手に、ジローズの「戦争を知らない子供たち」を唄ったりした。

そんな感じで我が家に出入りしていた当時のゼミ生の中のひとりに、Mさんというひとが

いた、、、

 

 

Mさんは水泳が得意だった。

私が小学校にあがって初めての夏休み、ふたつ上の兄(当時小3)が泳ぎが出来ずに困ってる

のを見かねた父が

「うちの息子に泳ぎを教えてやってくれないか?」

とMさんに頼み込んだらしい(この経緯は、つい先日初めて知った)。

事のなりゆき上、兄だけでなく、わたしも”ついで”の特訓対象に含まれることになり、それまで

単なるゼミ生のひとりにすぎなかったMさんが、我々兄弟の中で急激に巨大な存在として、

浮上してきたのだった。

 

 

今振り返ると、Mさんは絵にかいたようなコテコテの”九州男児”。

粋で快活で、とにかくカッコよかった。なにより小学校低学年の我々兄弟に対し、真正面から

向き合ってくれているのがちゃんと伝わってきたのだ。

しかも(車を運転出来ない)うちの両親とは違い、いつも我々兄弟を車で颯爽と迎えに来て

くれたところも大きな魅力だった(筆者注:母はその何十年後かに根性で免許を取得。ちなみに

私はいまだに運転できない)。

 

 

ところがこのMさんの水泳の指導がハチャメチャだった、、、。

Mさんの家の目の前に某私立大学があったのだが、そこが夏休み中なのをいいことに、柵を

乗り越えてプールに忍び込むところから始めなければならないのだ。

侵入後はもちろん我々三人の貸し切り状態。さすがにもう時効かな、、、。

 

 

兄の指導がメインで、その合い間に私の練習相手もしてくれたが、これもハチャメチャ

だった、、、。

私の手をとってバタ足練習をしていた時のこと、プールのど真ん中にさしかかった瞬間、なんと

Mさんはいきなり私の手を振りほどき、ひとりプールサイドに泳いでいったのだ。

大学のプールのど真ん中に置いてけぼりにされた”泳げない小1のわたし”は、まさに

「太平洋ひとりぼっち」状態。しかもプールサイドで腰かけて兄とふたり笑ってこちらを

見ている様子が、溺れて浮き沈みする水面の狭間から、かいま見えるのだ。

その後は覚えていない。頃合いを見計らって、たぶん助けに来てくれたのだろうが、、。

 

 

ある日、プールの帰り「ミカン狩りに連れてってやる」とMさんが、車で向かったのが、

山の麓にある夏ミカン畑(もちろん人の畑)。我々兄弟が罪のない笑顔で持ち帰った大量の

夏ミカンを見て、うちの両親もさすがに苦笑いしていた。これももう時効?

 

 

その時期、自分がためたお小遣いで初めて買ったドーナツ盤レコードが沢田研二の「勝手に

しやがれ」だった(ここは同い年の鈴木大介氏と一致している)。

ジュリーがその時期の私のヒーローだった。プールの行き帰りの雑談の中でそれを知った

Mさんは「俺もジュリー好きぜ。よし、俺が唄っちゃる」。

運転しながら「かべぎわに~ねがえりうって~♪」とキゲンよく唄いはじめたMさん。

次の瞬間、私の口から反射的に出た言葉は「もういい、もういい」。

小1からの本気の拒絶に「なんや、おまえ、せっかく俺が唄っちゃりようのにから!」と本気で

怒り始めたMさん、、、。

うしろの席で笑い転げていた兄は、その件を夕餉の時間に、微に入り細にわたって両親に報告

していた。

 

 

ひと夏の特訓成果があって、夏休み明けの学校から兄は鼻高々で帰ってきた。体育の授業で

「まっちゃんが泳げるようになっとる!」とセンセーションを巻き起こしたらしい。以来、

兄はスイミングスクールを経て中学では水泳部、高校では水球部、大学ではボート部、就職は

T海上火災と、まさに水街道まっしぐらの人生を歩み続けている(最近は釣りに凝っている

みたい)。

 

 

破天荒という言葉がピッタリなMさんだったが、大学卒業後はN火災海上に就職され、東京、

アメリカ、イギリスでお仕事をこなし、三人のお子さんに恵まれ、退職後の現在は、お孫さんも

いらっしゃることを母から聞いた。

生前の父に対しては礼節を重んじた姿勢を一貫して保ち続けてくださったようだ。数年前、

父の四十九日に際し、東京からわざわざお越しになり、仏前で大泣きされたことも母から

聞いた。

 

 

私と兄にとってMさんは、昭和の九州男児であり、とてもかっこよく、そしてハチャメチャで

しかし礼節を重んじ、仕事もバリバリこなし、家庭も大切にする(まとまらないなあ、、苦笑)

つまりは”あんな大人になりたい”という見本であり、あこがれだった、、、。

 

 

 

しかしなぜに今回こんなチョー個人的な思い出を書き記すのかって?

前回ブログでご案内した、今秋9月28日の主催イヴェント『ギターは今日も鳴り響く』になんと

お見えになるらしいのよ、Mさん!(実に40年ぶりの再会)

演奏とは全く別種の緊張が私を襲う、、、。

これは唐人町ギター教室はじまって以来のピンチ、、、もとい、試練と言えるのではないか?

 

あなたな~らどうする~♪

 

2019.8.11.

 

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『ギターは今日も鳴り響く』

 

唐人町ギター教室、今秋の主催イヴェント、

『ギターは今日も鳴り響く』~さまざまなスタイル~

これは是非多くの方に聴いていただきたい。

 

 

大衆の楽器ギターは、世界中のあらゆる音楽の中に潜り込み、溶け込みながらソロ、アンサン

ブル、さまざまな形態の中で愛されている。国や音楽のスタイルによって音楽の語法もギターの

扱いも当然違う。

ヨーロッパでは19世紀からクラシックの室内楽楽器として愛好されてきた歴史があるが、かたや

南米大陸に目を向けるとタンゴやショーロ、フォルクローレを演奏する楽器としてのギターが

そこに存在する。

アメリカ黒人文化から誕生し、発展したブルースやジャズ、イギリスとアメリカが刺激し合い、

往復することで発展を遂げたロック、、、

ギターという楽器はそれぞれのジャンルでびっくりするくらい扱い方が異なる。そこが面白い。

 

 

私が長年の活動を通じ、知り合ってきたさまざまなジャンルのギター・スペシャリストを

同じ会場で一日で皆様に体験して戴こう!というスペシャルな企画なのである。

どう?おもしろそうでしょ?

 

 

各ジャンルが交わることなく進行してゆく、言わば各ギタリストが自分の最も得意技のみを

披露するステージ。それによってギターという楽器のおもしろさ、ふところの深さが今回

浮き彫りになるはずなのである。ギターをやる人、必見必聴!

 

 

クラシックギター界を代表しては、スペイン帰りの期待の若手、加藤優太氏とわたくし松下が

繰り広げる「他ジャンルギタリストには絶対できない(はず、、、笑)」クラシックギター

デュオ世界。

 

続いて世界中のイヴェントやストリートで活躍を続けるアコギソロギター・パフォーマー

城直樹氏によるオリジナルな世界。迫力かつ深みのある、真にユニークなギタープレイに注目!

 

そしてこのたびフォルクローレ界の世界的マエストロ、木下尊惇氏のフォルクローレ・ソロ

ギターに特化した世界。なんという贅沢!このイヴェントのために神奈川から駆けつけて

くださるのだ。

 

そして福岡ジャズ界を代表するお二人による、デュオステージ。伝統的なスタイルを得意とする

7弦ギタリスト、柳武史雄氏と、オールラウンダーな巨匠、田口悌治氏による初共演!

クールかつホットなステージになるに違いない。

 

 

客席もいろんな音楽ファンが混ざるこの一日、2019年9月28日(土)。

会場は唐人町甘棠館show劇場(定員80名)。チケット絶賛発売中(売り切れたら本当に

ゴメン!)。

 

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