庄ちゃんへ

 

昨晩、沖田さんからの電話で知りました
最後にメールをかわしたのは五日前でしたね
なんのそぶりも見せなかった

 

初めてきみに会ったのはぼくが19歳の時
きみが勤めていた親不孝通りのバー
年齢ごまかして16歳でバーテン業界に入ったきみは
年下なのにぼくよりはるかにこころに芯をもっていた

 

腕のいいバーテンダーになるかと思っていた
その後次々と住む世界をかえたきみ
ビリヤード・プレイヤー
宝石商
地図の測量と作成
それから現在のウェブ制作会社を設立した

 

きみがこのすてきなホームページを
プレゼントしてくれなかったら
パソコンを買うのがすくなくともあと三年は遅れたろう
今日までぼくにとっての大切な場所になりました

 

コンサートにもよく足を運んでくれた
西鉄ホールの”Guitar vol.2”
甘棠館でのたくさんのイヴェント
そして”しあわせの架け橋”
あれはぼくにとって渾身の企画だった

 

当時の約一年間
肺を患っていたきみは
だれのことばも聞かず病院に行かなかった
ネットであやしい薬を買っては
まわりをあきれさせてた
あのコンサートの録音には
きみが咳き込むおとが、、、
これから大事にとっておきます

 

なぜ、きみがかたくなに
病院に行かなかったのかぼくは知ってる
ひとりっ子のきみが
最愛のおとうさんを亡くした10代の日
植え付けられた”医療への不信”
でしたね、、、

今回もかたくなだったんだ

 

20代のある日
”感謝”についてきみと話し込んだことがある
自分が日常感じている感謝の尺度が
その言葉に見合う重さを持っているのか
どうしても自信が持てなくて
答えの出ないなやみと感じつつも
きみにきいてもらった

 

今きみに感謝している
これがたぶん本当の感謝
おそいのかな
いやたぶん感謝ってこういうもんなんだろう

 

人生の経験や能力など関係なく
人は年齢順にならんでジョギングしている
父が亡くなったとき
こんなにもショックは無かった
どこかで順番だと割り切っていたのかも

 

自分より若い世代に先立たれるのは
きっと梯子を登っていて突然
のぼり終えた段をはずされたような不安

 

でもきみはぼくにとって三十年
となりをいっしょに並走してくれたひと
それがなんの前フリもなく
いきなりいなくなるんだ

 

最後の電話のきみの最後の一言
”「給付金なんてどうでもいい」なんて絶対に言いださずに
松下さん、かならず手続きして受け取ってくださいよ”
わかったよ、もらえるものならそうします
最後まで心配かけるね

 

ぼくはただコロナがあぶりだした格差社会について
どちらか一方の正義感だけを支持することなく
道を探れないものか
きみと話をしてみたかった
どんな言葉をきみだったら浮かび上がらせただろう

 

ほんとうに突然でびっくりしたけど
きみらしいといえば
きみらしい
ありがとう
ぼくはもうちょっと走りつづけます

 

おやすみなさい

 

2020.5.1.

カテゴリー: その他   パーマリンク

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

次のHTML タグと属性が使えます: <a href="" title=""> <abbr title=""> <acronym title=""> <b> <blockquote cite=""> <cite> <code> <del datetime=""> <em> <i> <q cite=""> <strike> <strong>

日本語が含まれない投稿は無視されますのでご注意ください。(スパム対策)