”緊急事態宣言”に寄せて

 

コロナは
平時の世の中に何食わぬ顔して共存している
矛と盾の数々を
あぶり出し続ける

 

“緊急事態宣言”はただの言葉
それが出された瞬間から “はい、緊急事態です”
のはずはない(ちなみに私は「現在が緊急事態ではない」などと言ってるのではない)

 

余裕のあるひともいれば余裕のないひともいる
《余裕測定器》が仮に世の中あったとしても
これはそのひと自身の心の在りかたのはなし

 

宣言後もまったく変わらず仕事に追われる人達
宣言後に仕事の灯がいっさい消えてしまった人達
ひととじぶんをくらべると不満が噴き出るのが自然

 

自分と国会議員の収入をくらべることはしない
今はただ
よその国から爆弾が降ってこない
この島の国に
生きる場所をいただけていることに
ただ感謝している

 

先日友人が電話で口にしたメディアへの不信
「志村けんは本当に《コロナに殺された》のか?
彼を殺したのは《彼の不摂生》ではないか」

 

コロナ騒ぎの真っただ中で
ときおり頭をよぎるのは
ふくしまのこと

 

あの日から非常時を生き続けている
ふくしまのひとたちの
かおが、ことばが
今のぼくの心の居場所を
そっとおしえてくれる

 

収入は下がり家賃は下がらない
コロナか飢え死にか
切羽詰まっていないひとは言う
「今は日本国民として飢え死にを選べ」

 

そんななか静かに突きつけられる別の現実
音楽はあるひとにとっては非常時に切り捨てるべき贅沢嗜好品
音楽はあるひとにとっては生きている自分を感じるための行為

 

2020.4.9.

 

カテゴリー: エッセイ, 生活の中の音楽 音楽の中の生活   パーマリンク

”緊急事態宣言”に寄せて への2件のコメント

  1. 木下尊惇 より:

    今日12日、豊川でのライブを予定通り行ないました。
    3月11日に福島でやったように、MCも歌もなしのオールインストゥルメンタル。前々日、独自に出された緊急事態宣言下の愛知県で、当然キャンセルもたくさんありましたが、閉塞されたこんな時にこそ、と思われる方がお一人でもいらっしゃれば、そこで音を奏でるのが私の役目です。
    窓を開けて、空気清浄機も回したカフェの二階で、集まって下さった6人の方々と十分な間隔をあけて、ギターとチャランゴを弾きました。楽器の音と一緒に、同じ時間を過ごしてくれたのは、人間だけではありません。雨の音も、隣のお寺…豊川稲荷の森の鳥たち、通りを走る車のエンジン音まで、私たちとともに、良い時間を過ごしてくれました。桜の花まで、一緒に過ごすために、散るのを待ってくれていたようです。
    音楽が、この世に生まれ、存在する理由を、周りのすべてに教えていただいた一日でした。音楽は…命とともに息吹くものです。

    • ryuji より:

      木下尊惇さま

      コメントいただき有難うございます(ひょっとして初めてですかね?)。
      うれしいです。

      ライブだったのですね。聴きたかったです!
      非常時にしか感じとれない大切なことは確実にある、ということを福島で木下さんから身をもって学ばせて頂いた気がします。
      遭遇したことのない状況に誰しも迷うし、正解もないのでしょう。
      数多くの矛盾も許容したいと思っています。

      またゆっくりお話をうかがいたいです。
      くれぐれもお身体たいせつに。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

次のHTML タグと属性が使えます: <a href="" title=""> <abbr title=""> <acronym title=""> <b> <blockquote cite=""> <cite> <code> <del datetime=""> <em> <i> <q cite=""> <strike> <strong>

日本語が含まれない投稿は無視されますのでご注意ください。(スパム対策)