ローカル性とグローバル性

 

現WBAスーパー・IBF世界バンタム級王者である井上尚弥氏(26)が、N.ドネアとの決勝試合

(2019年11月7日)より前に書いた本『勝ちスイッチ/井上尚弥著(秀和システム)』を本屋

さんで見つけ、購入して読んだ。

 

 

じつは私はそこまで熱心なボクシングファンというわけではない。

だがこれまで活躍してきた日本人ボクサーと比べた時、彼が今まで見た事ない資質を兼ね備えて

いるのだけは容易に感じ取れる。

まだ若い彼が何を考え、何に支えられているのかを知りたかった。

 

 

そして現時点で既に偉大なボクサーである彼によって書かれた内容のほとんどが《自分の

ボクシングと親兄弟、家族との関わり》であったことに正直驚いている。

なるほど、このひとはそうなのか、、、

そこに根っこをしっかり据えて世界を見ている。もしくは彼の中で《世界の舞台》と

《自分のふるさと》が常に同じ次元にある。そのことが非常に印象的だった。

まるで自分の生まれ育った部屋のかたすみに、地球の反対側につながる秘密のトンネルでも

持っているかのような、、、

 

 

常々感じていることだが、究極のローカルというものは究極のグローバルにつながっていること

が多い。それは究極のプライヴェートが究極のパブリックとして受け入れられるのと似ている。

話が個人的(具体的)になるほど、それは多くの人の共感(理解)を得やすいものだ。

話が全体的(抽象的)になるほど、(”いいこと”を言ってるにもかかわらず)ぼやけてしまい

がちである。

実際はそのふたつの間を、いつでもバランスよく行き来できる”柔軟性”が、カギのような気は

している私、、、

 

 

17~18年前の事だったと思うが、数字に関することはどうも記憶が定かではない。

広島でコンサートおよびマスタークラスを終えた鈴木大介氏とふたり、山口県の仙崎を旅した

ことがある。山口県を瀬戸内海側から北の日本海側まで縦につきぬけたところにある仙崎は、

かまぼこ、捕鯨で有名な他、戦後の引き揚げ港としても知られているが、エリアとしては

それほど広いわけではない。

 

 

そのような漁村におじさんクラシックギタリストがふたりして何の用かと思われる方もいらっ

しゃるにちがいない。じつは鈴木氏がその時期、仕事として取り組む予定であった童謡作家、

金子みすゞの出身地である仙崎にリサーチに行き、私はそのお供をしたわけだ。

現地に着くと、事前に連絡を受けていた金子みすゞ記念館の館長さんが歓待してくださり、

館内はもちろんのこと、ご自身で車を出して仙崎をくまなく案内してくださった。

しかもゆかりの地に立ち寄る度、金子みすゞの詩を館長自らソラで朗読してくださるという

まさにビップ待遇!鈴木大介効果のおかげで、私までぜいたくなひとときを過ごす事が出来た。

 

 

館長と別れた後も、二十代前半から私を驚かせてきた彼の観察眼と洞察力は片時も休むことは

なかった。その日、宿に辿り着くまでに彼がはじき出した結論は以下の通りであった。

 

 

「この狭いエリアの中に寺の数が異常に多い」

「生涯26年のうち人生の大半である20年を、この仙崎という狭いエリアで過ごした彼女が何故

ここまで世の中に広く受け入れられるグローバルな詩を書けたのか?」

「それはこの土地に深く根差した”仏教的視点”に起因するのではなかろうか」

 

 

そのとき私は、究極のローカル性が究極のグローバル性につきぬける例というものを、鈴木氏に

よって示されたといえる。

 

(ちなみに余談であるが、このような共存性とは真逆の、いわゆる資本主義社会が他国の文化を

破壊する”地球規模のグローバリゼーション”に対しては、私はつねに反対の立場をとっている)

 

 

2020.1.29.

 

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