『緑の木陰にて』(その1)

 

ブログ内の新カテゴリーを始めたいと思います。

その名も【松下流アナリーゼ】。

壇一雄のレシピ本『壇流クッキング』みたいでしょ。あのくらいアバウト(失礼)でいきます。

 

 

世のなか”正解”や”間違い”などは、時の経過や立場によって変わるので、そんなものは

”無い”に等しいのですが、いっぽうで《事実》というものは確実に存在します。

たとえば「爆撃によりこの村の住人が15名死亡した」というのはいわゆる動かせない事実として

存在しますが、それが「誰が正しく誰が間違っていたのか」という議論はそれぞれの立ち位置に

よって見解が変わってしまいます。(ちなみに《自分の意に反して他人から命を奪われる》と

いうことについて、”正しい”などということは決してあり得ない、とわたし個人は考えて

いますが、、、)

 

 

そうなると自分の意見が正しいなどと主張することは、そんなに意味がないことですし、

それについて興味はありません。

ただ、ひとそれぞれの感じ方には立ち入れないとしても、取り敢えず「そこにある”事実”に

目を向けてみませんか?まずは音楽上のことから、、、」というのが本コーナーです。

 

 

いわゆる「私が楽譜を見る時には、こんなことを気にかけながら弾いてます」の例。

もちろん正解なんかではないし、あくまで松下流。

楽譜に込められた事実をただ探ってゆきたいと思います。それでも主観というものは入って

しまいますが、客観的に語ろうとし過ぎるものにはかえって偽善を感じるので、、、。

 

ま、自己弁護はこのくらいでいいか、取り敢えずいってみよー

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いつまで継続するかわからないこのコーナー第一回目は『緑の木陰にて/C.ヘンツェ』。

Under_the_Green_Wood_Tree(楽譜はこちらをクリック)

 

まずは全体を大きく分けることから始める。アタマの8小節を場面Aとしよう。次に続く

シャープ4つ(Eメジャー)の8小節分を場面B、シャープひとつ(Eマイナー)のラスト8小節分

の場面をA’としておく。つまりA-B-A’の三つの場面からできてるので”三部形式”と呼んだり

するが、そんな呼称を覚えたところで実際の演奏面では何の役にも立ってくれない。

あとタイトルを見て「緑の木陰で気持ちよく、くつろいでる自分を想像しながら」弾いてみた

ところで、それもなんの音楽的解決ももたらさない。それが「大事でない」と言っているのでは

なく、そういった文学性やイメージが、独りよがりを超えて演奏面に活かされるためには、

もっとスジの通った捉え方が根っこに必要なのである。

 

 

大切なのは、まず場面Aそのもののキャラクターを知ることにある。

場面Aをフレーズごとに分けると、4つのフレーズで出来ている。つまり2小節単位で起承転結を

成している。

 

 

出だしの2小節分のメロディーを見てみよう。《ソーファミ》この下がる音階が重要なモチーフ

なので気に留めておいて戴きたい。《ソーファミ》《ソーファミ》と同じ動きを二回繰り返して

いるが、なんのためかと言うと次の小節アタマの二分音符《ソー》に重心を置く為、(繰り返す

ことで)エネルギーを蓄積しているのである。二小節目第三拍のファは、《ソー》によって

投げられたボールをキャッチするかのように、ソを上回らない音量で弾く(”キャッチ”でなく

バットで打ち返すように弾く人がたまにいる)。

伴奏の休符はやってみても面白いかもしれないが、難しいひとはひとまず放っておいてよい。

 

 

起承転結の”承”(3~4小節)も基本的には”起”と同じ。《ファーミレ》《ファーミレ》と、

やはり下がる動きを踏襲しているが、コードはB7(ドミナント)からEm(トニック)へと

動いているから、そこの和声進行感は表現したい。もっともこの曲がポップスである場合は、

その”和声進行感”というやつは打ち出す必要はない。だがクラシック音楽として演奏したいの

なら、この感覚がクラシックをクラシック足らしめるのに非常に重要な要素だと言ってよい。

 

 

4コマ漫画の3コマ目にあたる”転”(5~6小節)は、やはり事件が起きる。”起”と”承”で確立

された、ある特定の動きが破られることで一気に緊張感が増す。《ソーファミ》を期待する耳を

裏切って、《ソーファソラー》と上昇するのだ。しかもラが伸びているバックで伴奏がブレイク

する。

その後の四拍目の四分休符(この休符は大切!)の上で、メロディーはソロ状態で上昇を

続けるが、不均等な付点リズムだ。もしこれがふつうの八分音符ふたつだったら、ニュアンスは

どう違うだろう?

あるいはこの付点リズムを

”元気にリズミカルに”弾くか、、、

”静かにやわらかく”弾くか、、、

自分で弾き比べてみよう。

 

 

最後の”結”(7~8小節)は、場面Aの重要なモチーフである”下がる音階”を象徴的に使って

締めくくっている。《ソファミレ#》の繰り返しだが、二分音符のベースが

”もしどちらもラだったら、、、”

あるいは

”もしどちらもシだったら、、、”

試しに弾いた後で、楽譜の通り《ラーシー》のベースで弾いてみて欲しい。

なにが言いたいかと言うと、同じ《ソファミレ#》というメロディーも、ベース音が変われば

当然ニュアンスが変わるということ。特にベースの真上にあるソの表情はもろに影響を受ける。

そうでなければクラシック音楽の演奏ではない。

 

 

それを”どの程度やるか”は、そのひとの個性かもしれないが、作曲家の意図に敬意をはらいたい

人は、個性の表出など脇に置いて冒頭のことばに耳を傾けるべきだ。

Andante espressivo

すなわちエスプレッソばりの”濃い味”で音のエキスを絞り出せ!と言っている。

これはこの曲の演奏に対する私の好みを言っているのではなく、冒頭にお断りした《事実》を

述べているだけである。

この事実を無視して「私、薄味が好みだから」というひとがいてももちろん構わないのだが、

その時には単なる好みを超えた”スジの通ったなにか”を演奏で示すのが、曲に対する礼儀で

あるのは言うまでもない。

 

(つづく)

 

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『緑の木陰にて』(その1) への3件のコメント

  1. S.Hongou より:

    ……レッスンやマスタークラスでご指導いただけるよな内容を、公(ブログ)でお教えいただけるなんて。

    動画サイト等観てしまい、「こんなふうに弾いてた」ではなく、このように相対して想像する、構築するということの難儀なこと。(毎回、パニック状態)

    年末年始の長いお休み、是非にも弾いてみたいです。

    第二回、心待ち。(いや、催促ではないです。)

    • ryuji より:

      S.Hongouさま

      コメントありがとうございます。
      「動画にあげてくれ」という声も時折耳にしますが、それが”正解”であるかのようにみなされてしまうくらいなら、文字を通じて各自考えていただく方が、より広がりがありますね。そういうスキマを残しておくことがとても大切だと最近感じます。文字の解釈により誤解が生じることは勿論あるでしょうが、数多くの誤解を通じて辿り着いた理解というものは貴重なものだと思います。

      あと動画をあげない事で「弾けないくせにクチばっかり」と思うひとがいたとしても、僕自身は痛くもかゆくもないので(笑)

      • S.Hongou より:

        先生のレッスンを受け始めたころ、
        「動画サイト観ちゃダメ!」の意味が、やっとわかってきました。

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