ずれる和音(その2)

 

いや~、かささぎ兄弟コンサート・ツアー、おかげさまで無事終わりました。

G20交通規制を乗り越えてご来場くださった皆様、チケット販売に多大なお力添えを頂いた

西島みどり先生、ウラ雑務をてきぱきとこなしてくださった縦石佳久先生、本当に有難うござい

ました!!

松岡滋さん、岩崎慎一さんおふたりによる正統派クラシックギタリスト・デュオは圧巻でした。

なんというか懐かしさを感じる(決して上から目線で言ってるのではない。実際あちらの方が

私より数段上かつ深みがある)と同時に、私自身がいつでも帰ってよい”原点”を、おふたりに

示していただいた、、、まさにそんな気分です。

”いい先輩が居る”って、きっと人生ですごく大事なことだな、、、。

そして今回も協力し合い、主催面でも演奏面でもアレンジ面でも本当に助けてくれたすばらしい

池田慎司さん、いつもありがとうっ!

 

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【アルペジョ】とは和音(コード)の構成音を時間差で分散させる(バラす)ことである。

日本語では『分散和音』。

ただ紛らわしさを避けるため、ここから先は《アルペジョ音型》と《アルペジョ奏法》のふたつ

を区別して考えたい。

 

 

《アルペジョ音型》というのは、いわゆる和音のばらし方をパターン化したもの。

例として、、、

*カルリの作ったもの(C–G7/D–G7–C–Am–Dm–C/G・G7–C)

*アルベルティ・バス

*ヴィラ-ロボス作曲「エチュードNo.1」

など

 

 

一方《アルペジョ奏法》と私が言ってるものは、たとえばレッスン時、楽譜上は和音の塊が

縦に並んでいる個所で同時弾きせず、べろべろっとずらして弾くとおじさんの生徒さんが

「うわ~、今先生べろべろってどげん弾き方したとですか。ツヤつけてから!」とのぞき込んで

くる弾き方のこと。前回のブログで紹介した”カルカッシが教則本で説明”しているのはいわゆる

こちらのアルペジョ話である。

 

 

わたしが以前、リュートの世界的巨匠のマスタークラスを見に行った時、受講生に向けた

アドヴァイスのなかで「ソコの箇所は、ギタリストがよくやるように、ずらして弾いたりしない

ように」というのがあり、揶揄された立場のギタリストとして、悲しくなったことがあった。

2~3声だったかもしれないが、これも《アルペジョ奏法》についての例。

 

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以前リュート奏者の太田耕平氏にバッハの998プレリュードのレッスンを受けた時、以下の

ような問答になった。《アルペジョ音型》を処理する方法(響きを混ぜるか混ぜないか)が

楽器によってそれぞれ違うことに対し、肯定的にみるか否定的にみるかについての話。

 

松下「他の楽器なら和音のアルペジオ音型でも、結果響きを混ぜないで演奏するところだが、

リュートの場合、他の楽器の語法に合わせたアプローチをとるのか?それともリュート独自の

音響を展開するのか?」

太田「そう、実はリュート奏者が他の古楽器奏者に一番コンプレックスを抱いてるのはそこ

なんです」

松下「混ぜることに対して?」

太田「そうです」

 

器楽演奏のアプローチというものは楽器別に存在する(私が常々”方言”と呼んでいるやつ)。

それぞれの良さを互いに認め合えばいいのに「鍵盤楽器ではそんなふうに和音をバラしたりは

しない」と(帰国後の日本で)彼自身がピアノ奏者から指摘されたこともあったらしい。

そのピアニストにとって和音の同時弾きは”音楽の標準語”であり”基本的な鳴らし方”だから、

他の楽器の人も標準語で喋るべきというニュアンスである。

 

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ここからの話はアルペジョ話から少しずつずれてゆく。

つい一週間ほど前、太田氏と食事をした時にカルカッシ教則本のくだんの内容を話すと興味

深そうに聞いていたが、以下の貴重なことを教えてくれた。

 

太田「ルイス・ミランなどのヴィウエラ曲は、ヨコのラインがそれほど厳格ではなく、特に

タテの塊を意識させるような箇所については(吟遊詩人の伴奏さながら)アルペジオで弾いても

ハマると思う。しかし一方、厳格な対位法に基づいて作曲されたダ・ミラーノのような場合は

(タテが)同時弾きでないと成立しない音楽だと思う。」

松下「それはダ・ミラーノのリュート曲は、リュートという楽器の語法よりも一般的な音楽語法

をより強く志向しているということ?」

太田「いえ、そういうことではなく、、、(楽器の問題として)たとえばヴィウエラよりも

リュートの方が”旋律楽器”としてヨコに流す意識がより強い楽器だということです。」

 

 

たとえばダ・ミラーノの四声部の声楽曲で、それにリュートが絡む時、あるパートだけを単旋律

(一声)のユニゾンでなぞるようなことがあるらしい。そのような時、楽器としてのリュート

はもはやハーモニー楽器ではなく完全な旋律楽器の扱いだと彼は言う。加えてダ・ミラーノの

残したタブラチュアにはリュートソロ演奏では絶対に演奏不可能なものも残っている。

だがなんでそんなものが残っているのかナゾらしい。

 

松下「それが学習用でないとすれば、ひとつのタブ譜を複数の奏者がのぞき込んでアンサンブル

で弾く習慣などは当時なかったの?」

太田「それは聞いたことがない。」

松下「じゃあ、そういったものに関しては(ソロ演奏用ではなく)リューティストが伴奏し

ながら歌唱指導をするときにスコアとして使ったものかもしれないね。」

 

(つづく)

 

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