”スタンダード”というものについて(その3)

 

ジャズの世界を見てみよう。プレイヤーの間で”スタンダード”という言葉をもっとも実用的に

使用しているのはきっとジャズ・ミュージシャンに違いない。

 

 

ジャズ・ミュージシャンの活動条件として重要視されるのが、「スタンダード・ナンバーの

テーマ・メロディーとコード進行がからだの中に入ってるか?」ということである。

ジャズ・スタンダードと世に認知されている曲の数は、一説によると1,000曲以上

、、、。しかし私に言わせれば、そんなにあったらもはや《スタンダード》など選定している

意味がほとんどないではないか?(笑)

以前、知り合いのジャズ・ベーシストがこう言っていたのを思い出す。

「スタンダードのテーマ・メロディーとコード進行を覚えるのに、結局10年の歳月がかかり

ました。」

そういう世界なのだ、、、。

 

 

しかしそんなジャズの世界においても”スタンダード”とは「採りあげられる頻度が多いもの」

という定義に変わりはない。あと譜面がクラシックほど重要な意味を持たないジャズの場合、

その道でなにが伝統や規範になっていくかというと、偉大な先人たちの《演奏そのもの》なので

ある。「C.パーカーがこう吹いた」「マイルスがこうアプローチした」「コルトレーン・

チェンジ」「エヴァンス・チェンジ」「ジム・ホール・チェンジ」、、、、。

ジャズの世界ではこういったことが重要な伝統であり、クラシックのような《作曲者の作曲

技法》よりも《先人プレイヤーのアプローチ》がより重要なのである。

 

 

最後に、先月ふくしまで開催された日本最大のフォルクローレ音楽の祭典”コスキン・エン・

ハポン”に参加した時の話。

日本全国(といっても東日本が中心だが、、、)から集まってきたフォルクローレの愛好家

グループが一堂に会し、日頃の練習の成果を発表する場なのであるが、演目にはフォルクローレ

のスタンダード・ナンバーとして私のようなフォルクローレ初心者でも知ってる曲が採り上げら

れたりもする。

 

会場からホテルに向かう帰りの車の中で、私が「あの団体(グループ)があの有名曲やってまし

たね。」と水を向けると、木下尊惇氏が「あの曲は本来ああいう曲ではありません。ぶどう棚の

下で踊るものですが、カーニヴァルで使う長い角笛で奏するメロディーでして、、、。」と、

私も知ってるそのメロディーを歌い始めたのだが、なんと感触が全然違う、まるで別の音楽

なのである。そして何よりも大事なことだが、そちらの方が断然あちらの【生活のにおい】が

するのである。フォルクローレ音楽の性質上、他の分野よりもこれは重視すべきことのように

思える。

 

 

スタンダード曲における、このような『目から鱗体験』は私の日々の音楽活動に活力を与え、

前に進むための原動力となっている。

”スタンダード”というものを権威や形骸化から解放し、作品として活力を与える。その為に

常に新鮮な目で「同じものを違うように」見続ける。

批判的な目ではなく、愛情を伴ったまなざしで、、、。

作品に対しても、ひとに対してもこのようであり続けたい。

現在の私が目指しているものである。

 

(おわり)

 

 

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