やってみなけりゃわからない

 

いやー、すごかった!!

昨夜のWBSS(ワールド・ボクシング・スーパー・シリーズ)の井上尚弥VSノニト・ドネア

バンタム級決勝戦。

バンタムに階級を上げて以降の井上氏は、世界の猛者たちを1~2Rであまりにもあっさり沈めて

きたため、私のような素人は今回もそのような結果(早期決着)を勝手に思い描いていたのだ。

あそこまで打たれる井上氏を見た事が無かったので、やはり試合やコンサートは実際にやって

みなけりゃわからないものだ。

もっともやらなくて結果が分かるくらいなら、やる必要ないし、、、。

 

 

理屈としてはそうだが、今回自分が過度に期待してしまったのは、井上氏が日本人ボクサーと

して、これまで見た事がないくらい完成度の高いボクサーだからだ。

ボクシングは暴力などではない。非常に科学的なスポーツだ。試合の中には(あるいは外にも)

一般人がとても読みとれない多くの駆け引きがある。相手があるいは自分がどのくらいダメージ

を受けているか、冷静に観察しながら柔軟に対応してゆく。

 

 

先程も書いたように、井上氏はこれまでの試合で、相手を文字通り秒殺、瞬殺し続けてきたので

今回のように12Rフルで撃ち合うことは、見る側にとっても未知の領域だった。

井上氏の仕上がりは万全だった。だが10歳年上のドネア氏の仕上がりが予想以上だった。

バンタムにおいて世界屈指の強打を誇る井上氏のパンチをあれだけくらって、なお攻めに転じる

タフさも尋常ではなかった。井上氏得意の左ボディーブローを11Rまで放たせなかった防御力も

驚嘆に値する。宿題と対策をきっちりとこなしてきた上で常にカウンターを狙っていたので

井上氏もこれまでないくらい時間をかけて慎重に攻めざるを得なかった。

 

 

結果12Rフルに打ち合い、判定にもつれ込んでの勝利だったが、今さらながらやはり井上氏は

ボクサーとしてあまりにも素晴らしかった。ただ今回の試合、多くのデータを残したことで

世界中のボクサーによる井上研究と対策が進むことだろう(これまではデータが収集できない

ほど試合がほんとうに早く片付いていたのだ!)。

 

 

相手が居ないことにはボクシングは成立しない。そしてやってみないとわからない。

今回ドネア氏は、井上氏にものすごい経験を与えたとも言える。

本当にすさまじい試合だった。

 

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

 

コンサートというものも、本当にやってみないとわからない。

スポーツにしろ音楽にしろ、やはりそこには内容や技術以上に、メンタリティーの問題が深く

関わってくる。

演奏内容が自分にとって満足いく形であっても、”コンサートとして”素敵な時間になるとは

限らない。

逆に演奏内容が自分にとって不本意でも、”コンサート”として素敵な時間になることもある。

 

 

こればかりはいまだにわからない、コントロールできない領域である。逆にコントロール

出来たら、つまらないことこの上なかろう、、、。ここはいつも力説しているように《主催者が

どのように集めたお客様か》が大きく影響する。

演奏家にできることは意外にちいさいのである。

過信してはいけない。

 

2019.11.8.

 

 

カテゴリー: エッセイ, 生活の中の音楽 音楽の中の生活 | コメントをどうぞ

遠くへ行きたい?(その2)

 

来たる11月7日、さいたまスーパーアリーナで行われるWBA・IBF世界バンタム級王者・

井上尚弥と世界5階級王者ノニト・ドネアによるWBSS決勝をずっと心待ちにしている私。

だがその日を迎えるまでに、こちらはあと二試合乗り越えねばならない、、、。

 

 

11月3日(日)ピアニスト権藤寛子さんとのコンサートは自分にとって特に大きなチャレンジ

でもある。曲調は軽やかで聴く分には気軽に楽しめるものばかりだが、技術的難易度としては

(わたしにとって)ヘヴィー級のプログラムである。まあ、自主企画のコンサートで守りに

入っても無意味なので今回攻めてみたのだが、結果あぶら汗と冷や汗の毎日、、、。

ただ、今回初共演の権藤さんのピアノはほんとうに素晴らしいです!

権藤さんと私の実家がある、福岡市”東区”でのコンサート。JR福工大前駅改札を出たら会場の

『こみせん和白』と繋がっておりますので是非ご来場くださーい♪おまちしてまーす♪

 

 

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

今回の記事はグチではないことをふたたびお断りしておく。

上記のコンサートを企画、準備してからずっと頭にひっかかっていることがある。

街と郊外の関係についてである。

 

 

前回の記事で紹介したように、福岡市は7つの区に分かれている。

中央区の天神、博多区の博多駅周辺あたりが、市内でもっとも賑わっている所だが、一方で

空の窓口”福岡空港”の所在地は博多区にあり、空港から天神までは地下鉄にして12分、と非常に

便利なところにある。この点に関しては他の地域にお住まいの方から結構うらやましがられる。

 

 

で、なにが心にひっかかってるかと言うと、今回のコンサートのホールは東区の会場を使う

のだが、中央区近辺のお客さんの売れ行きというか反応がいまいちなのだ。

なかには「えー?東区ですか?遠いなあ、、、そりゃ無理だ」と露骨につぶやく人もいる。

逆に東区の方々は、会場が中央区だろうと西区だろうとフットワーク軽くお越しになる。

つまりこれは距離の問題ではなく、街の中心部に住んでいるひとと郊外に住んでるひとの意識の

違いの問題だとあらためて気づいたのである(この年齢になっていまさら、、、という感じでは

あるが)。

 

 

じつはこの”意識問題”は、規模ごとによる様々なヴァリエーションが各地域に存在する。

例えば福岡市在住の人間は、《長崎市は遠いところ》だと感じているひとが多いが、長崎のひと

にとって、高速バスに乗り、福岡の天神で日帰りショッピングをするというのは、そこまで

”非日常”的な話ではない。もちろん長崎に行き慣れている福岡市民もいるという前提での話で

ある。

 

 

福岡人が東京と行き来する時の意識は、東京人が福岡に対して感じている距離ほど遠く感じては

いない。

 

 

先日27日に愛媛県西条市でご一緒させて頂いた素晴らしいフルート奏者、渡部寛子さんも

おっしゃってた。西条のひとはコンサートを聴きに松山まで行くが、その逆はあまり起こり

得ない、と。

 

 

そうなるとコンサート主催者として郊外で企画する時に出来ることは、中央区のひとたちに

”郊外のすばらしさ”や”移動の際の清々しさ”を吹聴してまわるか、泣きついて同情を買うか、

郊外の有力者に協力を仰ぐか、あるいは自分のカリスマ性に磨きをかけるか、、、

しか無かろう。

 

 

心のなかの距離感覚は、田舎(あ、言っちゃった)のひとのほうが短く、行動範囲の半径は

きっと大きいのだ。都会に住むひとほど、狭い範囲内でも用が足りるので半径が狭くなる傾向に

あるのではないか?あ、ちなみにこれは里帰りなどを除外した《日常における行動半径》の

話ね。

 

 

(誰の事か簡単にわかってしまうが)知り合いのアルゼンチン人が日本に来て、初めのうちは

福岡に住んでいたが、数年後、東京に住まいを移した。

その時、鈴木大介氏が言っていたことが面白くて今でも印象に残っている。

「だってさあ、福岡だ東京だって言ったってさあ、あっちはアルゼンチンから来てるわけだから

距離的に全然変わらないわけじゃん。今回の彼の東京移住に残念がってる福岡のひともいるって

言うけどさあ、オレが留学してた時だってザルツのひとが”ウィーンの人間は冷たいし人情味が

無い”なんてよく言ってたもんだよ。」

 

 

別にこれといった結論は無いが、心の中の距離感は動き回る人ほどコンパクトなのだなあ、と

あらためて考えただけである。どちらが良いか悪いか、、、などという類いの話ではない。

 

(おわり)

2019.10.30.

 

 

カテゴリー: エッセイ, 生活の中の音楽 音楽の中の生活 | 4件のコメント

遠くへ行きたい?(その1)

 

今回の記事はグチではないことをはじめにお断りしておく。

 

 

私が暮らしている福岡市の人口は約159万人。福岡県の県庁所在地であり、政令指定都市

である。私が子どもの頃に比べると降雪量は随分減っているが、冬の体感温度は意外と寒く、

関東関西あたりから転勤で福岡に来られた方々は「九州なのになんでこんなに寒いんだ!」

とお怒りになる。 その辺りにお住いの方々の”九州”に対するイメージギャップを私が初めて

感じたのは意外に早く、 小学生の頃、、、。

 

 

友達の部屋で寝転んで読んでいたドラえもんの話の中で、ドラえもんの四次元ポケットから

出てきたマシーンでマラソンの練習をしていたのび太が、苦手だったはずの ”走ること”が

次第に楽しくなり、ついに九州まで走破する、というものだが、辿り着いたのび太が感動

しながら「九州だ!」と口にする場面。そこに描かれているのはどう見ても宮﨑、 鹿児島

あたりのいわゆる南九州の景色であり、私が日々生活している九州とは全然違うもので

あった。九州人としては、どうせならのび太が関門海峡を越え、巌流島あたりを横目に見ながら

その時点で「九州だ!」と叫んでほしかった。うちの前を通り過ぎやがったな、、、

こいつ、、、。

 

 

陸路で九州に入った場合、小倉を中心とした北九州市がまず本土からのお客様をあたたかく

迎え入れる。”北九州”という言葉のひびきから「それは北部九州を指すのだから福岡県自体が

北九州の一部」とイメージしてしまう本土のひとも実は少なくはない。 だが九州人にとって

”北九州”とは、先に述べた小倉を中心とする北九州市のことを指す。 ”福岡市”はその北九州市

から高速バスに乗ること一時間強さらに南西にくだることになる (新幹線だと18分)。

かのギターの名手、池田慎司氏はそれだけの時間をかけて月二回北九州からうちの教室まで

レッスンに来てくれているのだ(なんと尊いことでしょう)。

 

 

福岡市に話を戻す。

福岡市は7つの区に分かれており、人口順に言うと《東区、博多区、中央区、南区、西区、

城南区、早良区》となる。

03_map[1]

ふたたび”本土感覚的”立ち位置に立つと、これら福岡市のことを総称して”博多”と呼ぶあるいは

思っていらっしゃる方も少なからずいる。これは長らくのあいだ山陽新幹線の終点が博多で

あったことからおそらくそのイメージが定着してしまったと思われるが、すでにお察しのように

我々九州人にとって”博多”とは博多区エリアのことを指す。じつはそこは福岡市の中でも

とりわけ違う文化圏なのだ。

山笠などのお祭りは年に一度盛大に行われ、観光客で大変賑わうが、非常に冷たい言い方を

してしまうと、あれは博多エリアのひとの為のお祭りであり、他の大半の福岡市民にとっては

他人事なのである(きゃー、言っちゃった)。

 

 

だから本土の知り合いから「来週観光で博多に行くから博多でラーメン食べたい」と言われても

額面通り受け止めて博多駅近辺でおいしいラーメン屋を探す必要はなく、地元民として中央区

でも城南区でもご自分お気に入りのお店にご案内すればいいのであるよ。

 

(つづく)

 

カテゴリー: エッセイ, 生活の中の音楽 音楽の中の生活 | コメントをどうぞ

若い仲間で若返り

 

 

本番やイヴェントを終えると、すぐ次の準備にとりかからねばならない日々が続いている。

 

終わった後になかなかじっくりと振り返るだけの余裕がないが、身近にギタリストの池田慎司

さんが居てくれるため、時に互いの近況をゆっくり語り合える時間が持てるのがせめてもの救い

となっている。その時こちらが抱えている悩みなども彼には率直に打ち明ける。

 

 

尊敬する上の世代としてジャズギタリストの田口悌治さんやフォルクロリスタの木下尊惇さん

らの存在がある。そして(言い方は悪いが)戦友として、共に刺激を分け合いながら歩んできた

同世代の仲間としてクラシックギタリストの岩崎慎一さん、鈴木大介さん、池田慎司さん、

ジャズギタリストの柳武史雄さんらが居る。

それからここ近年、爆発させるためのエネルギーを着実に蓄え続けている若い世代として身近に

居るのが、クラシックギタリストの縦石佳久さん、加藤優太さん、壇遼さん、松本富有樹さん、

リューティストの太田耕平さん、、、

これらのひとたちに囲まれ音楽活動出来ている自分をとても幸せだな、と思う。

 

 

そして先日オカリナ奏者の和田名保子さんを通じて、ひとりのすばらしいギタリストと知り

合った。

博多在住のソロアコギパフォーマー逆瀬川(さかせがわ)剛史さん。

ギター専門誌の特集で、オリジナリティあふれる楽曲を評価され

「次世代を担うギタリスト15名」

に選出されてもいる。

和田さんのオカリナ教室発表会に今年9月ゲストとして出演し、和田さんのオリジナル曲を

独自の素晴らしいアレンジで伴奏した他、ギターソロのオリジナル曲で会場を魅了した。

その日そのまま「おつかれさまでした」と、さよならするのが惜しかったので、ろくに飲めない

くせに他日一緒に飲みに行く約束を取り付けることに成功。

そして昨夜五時間近く(私は梅酒のロック片手に)互いの話に耳を傾けた。

 

 

彼はとにかく博識で、ものごとに対する洞察がするどかった。ギターの話、音楽の話、宗教の

話、哲学の話(彼は大学でイン哲専攻)、、、五時間のあいだ私が教わったことの方が圧倒的に

多かった。

お互いのライヴに足を運ぶ約束をしてこの日は別れた。

「客席に同業者がいるとやりにくいっすよね~」と言い合いながら、、、。

 

 

新たな刺激を受けることのできる仲間が増えると、それだけで気持ちが若返るものだなあ。

和田さんに感謝!!

 

2019.10.7.

 

カテゴリー: エッセイ, 生活の中の音楽 音楽の中の生活, 観てみて動画 | コメントをどうぞ

『ギターは今日も鳴り響く』終了

 

うちの企画イヴェント『ギターは今日も鳴り響く』が、昨日無事終了した。

会場にお越しいただいた皆様、集客を手伝ってくださった皆様、池田先生、西島先生、本当に

ありがとうございました。

 

 

規模としては小さいが、一年前から準備を始めて大切に進めてきた企画だった。

ここ何年かのあいだに知り合い、活動も共にさせていただいた畑違いの5人のギタリストに

パフォーマンスを依頼し、皆様快く引き受けてくださった。

クラシックギター、アコギ・ソロギター、フォルクローレギター、ジャズギター、、、

それぞれの音楽に基づいた語法や表現の違いは厳然として存在する。

「音楽に国境はない」「音楽は自由だ」

時折耳にする言葉だが、どの文脈で使うかによって場合によってはその通りだし、場合に

よってはうそっぱちだ。

 

 

お互いの違いを認め合い、受け入れ、敬意を持つ、、、

ギターという楽器を通じ、さまざまな”音楽の愛し方”を目の当たりにする、、、

お客様にそれを感じてもらうために、私が信頼する5人のギタリストにそれぞれの専門分野を

ガッツリとやってもらい、違いを浮き彫りにする中でなにかが生まれるだろうという予感は

あった。

 

 

本番の感触、、、こればかりは予測がつかない。

出演者のパフォーマンスの質だけで決まるわけではない

当日の客席の感触と舞台に居る人間の”気”がどういった対流を起こすか、、、は終わってみない

とわからない。

今回はこうなった。

出演してくれた5人のギタリストの素晴らしいパフォーマンスとあたたかい客席を作って

くださった皆様に心から感謝している。

 

 

あとはしばらくのあいだ思考を停止させて、このイヴェントが残したものを感じたい。

次に進むために、、、

 

2019.9.29.

 

 

カテゴリー: 活動報告 | 2件のコメント