不慣れな感触

 

《自分の得意分野を伸ばせばよい》

という考え方がある一方で

《自分の感覚をひろげるために”不慣れな世界”に身を浸すこと》

も必要だ、と常日頃心がけてはいる。

 

 

現実的には、40年以上弾き続けているクラシックギターでさえ、いまだぎこちない。

ジャズギターやフォルクローレギターになればなおさらである。

だが一方でこの”ぎこちなさ””不自由さ”が、弾き続けるための原動力となっていることも確かで

ある。

慣れることよりも《慣れたいと願い試行錯誤を続けること》のほうが、実は楽しいことかも

しれない。

 

 

私の趣味をきかれたら「かたよった読書です」と答えている。

尊敬する人の感じ方、考え方、果ては”しゃべり方”を自分に取り入れるため、同じものを年数

かけて繰り返し繰り返しなんども読む。

本から仕入れた感覚や思考を実生活で小出しにしては自分のものにしてゆく。

そのためここ数年読むものは自伝やエッセイ、対談集、インタビューの類いが大半を占めて

いた。

ところが最近つまづいた。

 

 

詩人の吉増剛造さんの自伝のなかで奄美群島出身の島尾ミホさん(1919~2007)と出会った

時のことが大変印象的かつ魅力的に綴られていた。

 

~それで三人で千駄ヶ谷まで行って、黄色い電車を待ってて、僕の電車が先に来た。これは「オシリス、石の神」(吉増氏の詩集タイトル:筆者注)に書いたから鮮明にまたビジョン化しているんだけども、僕の黄色い電車が先に来て、お辞儀して、ドアが閉まった瞬間に、向こうに立っていた島尾ミホさんがうわーっと手を振ったの。そのときに、これは半分フィクションだけども、つーんと潮のにおいがしたの。ああ、これは島の女だ、船で別れるときに手を振る女だと。それをエッセイに書いた。

それで、島尾ミホはそのエッセイを読んでから後、手を振ること手を振ること、、、(笑)~

『我が詩的自伝/吉増剛造著(講談社現代新書)』より

 

 

その”手を振る島の女”島尾ミホさんの『海辺の生と死/島尾ミホ著(中公文庫)』を読んでいて

つまづいたのである。

文章そのものが難しいわけではない。

幼少期を過ごされた奄美群島の加計呂麻島の生活や思い出について書かれたエッセイだが、

描写が非常にこまかいため、自分の脳内でひとつひとつ感触を思い起こすのに体力を思いのほか

消耗したのである。

いわば女性特有の感覚的な細かい言い回しに対し、単に不慣れな私が振り回されただけだが、

日頃いかにこういった”感覚的な文章”を読んでいなかったか、という自分の偏りを思い知ら

された気がした。

 

 

だがすこし馴染んでくると、それは彼女の細かい描写から自然と立ち昇ってくる《当時の島の

生活》、そしてある少女の目を通して記憶に焼き付けられた《温度、感触、味、におい》

そういったものを追体験する文章、、、読者を引きずり込もうとする主張も結論もそこにはなく

一話一話が立ち昇っては消えてゆき、そのはなしの残像のみがうっすらと感覚に残る世界、、、

 

 

はじめはいささか自分にとって不慣れな世界であったが、

《不慣れな感触に身を浸すことによって自分の感覚を今以上に拡げられるかもしれない》

そんな予感がする時、多少無理をしてでも、わたしはしつこい持久力を無意識のうちに発揮する

のかもしれない。

 

音楽でも料理でも、読書でも、、、

 

 

2020.7.3.

 

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1と100とそれ以外(その2)

 

作曲家もとりあえず出版という形で”100”を世に出したはいいが、その後も本人の中でその曲が熟成しつづけ、その後”120””140”に変化し「このカタチで改訂版として世に出したい」と思うこともあるのではないか?
つまり作品を更新し続けたいという欲求、、、

 

そしてそれとは別に、ある作品を発表するとき一種類に固定せず、たとえば”版A””版B” ”版Y”など一度に複数の版を同時に世に出したい作曲家がいても全然おかしくない。

 

古楽器的見地に立つなら、そもそも”80”が”100”や”120”に変わるのは《変化》であり《進化》ではない。作品に関してもおそらく同じで”80”が”100”より素晴らしい場合もあるし、さらに後の時代から振り返ったとき”120”が蛇足にみえることも当然ありえる。

 

A.バリオスの場合、本人が決定的な”100”を世に出さなかったため、あるいは”100”を残すことに執着しなかったため、結果さまざまな版が残ることとなった。
このことはわたしにとっていろんな面で興味深い。

 

クラシックのギタリストやピアニストが、私から見て”100”を重んじ過ぎる傾向に引っ張られている要因のひとつとして、やはり〈コンクール〉というものの存在がある。そこでは「”100”を如何に弾くか」ということが大前提とされているのだから。
だがそもそも音楽を日々楽しむ人間が、そんなストイックな業に縛られるいわれは本来ないと言えばない。

 

ここで大事になるのは、その作品の100だけと向き合ったひとが自由にやるのは「自由ではなくただの勝手な演奏」なのである。そこには作品に対する最低限の敬意が不足している。
だが100の前後、つまりその作品の”80”や”30”あるいは”120”を知識や経験をもって想像し、そこに演奏で踏み込むことは”勝手”ではなく、その作品演奏の真のリアリティに肉迫することにつながる。

 

これらのことは、近代以前のクラシック音楽が【その場でその都度、常に新しく生まれるため】に(これから特に)必要な栄養素ではないだろうか?
もちろんそれを実現して楽しむためには、作品に対する探究、敬意、同時代の演奏スタイルへの理解など幅の広い視野が求められる。
それらは楽しい作業であるし、そういった作品理解によって《クラシック演奏》は来たるべきあらたな次のステップに入ってゆくかもしれない。

 

(おわり)

 

2020.6.22.

 

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1と100とそれ以外(その1)

 

少し前のブログ、「プレリュードNo.1(ヴィラ-ロボス)」の時にふれた”あること”について、ここではもう少し掘り下げてみたい。

 

作曲家が作曲し、世にむけて出版した状態を、その曲の仮に”100”だとする。
そして「今からあるきっかけをもとにして作曲を始めよう」という作曲家の心の状態を、仮にその曲の”1”だとする。

 

作曲というものが「1から100に向かうことで一般の音楽愛好家に対してひらかれてゆく行為」だと考えた場合、演奏にたずさわる人間は「まず100に触れ、1に向かう」という作曲家とはおよそ逆の過程を辿ることによって、その曲に散りばめられた様々なアイディアやひらめきを体感することになる。
もちろんこれはクラシックのような《音符をもとに音楽する状況》に限った話だ。

 

100の世界(出版された作品)でなにが起こっているかを深く把握するには、100の世界だけと関わっていても一向に広がらない。
18年前、濱田滋郎先生の紹介状を手におとずれたリオのヴィラ-ロボス記念館。
館長のトゥリビオ・サントス氏から直接に戴いたヴィラ-ロボス本人の作曲スケッチコピーは、100の状態に至るまでの途中経過、すなわち”50”や”80”の状態であり、そこにはさまざまな可能性をたのしみ(くるしみ?)ながら試行錯誤している生身の人間ヴィラ-ロボスの姿がしっかりと刻印されていた。

 

最近はポップスやロックの世界においても”往年の名曲”のデモ音源などがYou Tubeで簡単に聴ける時代である。
それこそ10代のころから親しんできたビリー・ジョエルやレッド・ツェッペリンの名曲のデモ音源を数年前 You Tube で耳にした時には愕然としたものだった。
LPで発表した音源を仮に”100”だとすると、そこには”10”とか”30”くらいのものもゴロゴロある。

 

で、なにがショックだったかというと、バンドをやっていた経験上その素材程度の楽曲クオリティであれば自分なら絶対ボツにした、、、だが彼らはそこになんらかの可能性を見い出し、その素材を捨てることなく最終的に素晴らしい曲として作り上げた、、、その”見立て”と”発展させる能力”に対して、自分との間に圧倒的な差を感じたのである。
LPやCDでいわゆる”100”の状態だけを見せられ続けてきた私は、彼らと自分との圧倒的な差は、元の素材を産み出す力、いわゆる《作曲能力》だと長年思い込んできた。だがそういったデモ音源によって明らかになったのは、差は《作曲能力》というよりも、素材をころがしてゆく《アレンジ能力》のほうだった、、、ということなのだ。

 

そういった誤解が”100をいきなり産み出す能力を持った(かのように見える)人々”に対する尊敬、崇拝、信仰につながってゆくのは必然である。
ネット社会になる以前は情報の発信元がメジャーに限られていた為、権威を守る事が出来ていたひとたちも、人間的舞台裏が近年みるみる可視化されてきた。
この部分を従来のやり方で守ろうとするのは、時代の流れから言っておそらく徒労に終わることだろう。

 

「社会の意識や技術が育つため自分にはなにが提供できるのか?」
「自分が能力的に社会から超然としているのではなく、社会とともに歩いてゆく覚悟があるか?」
つまり能力の切り売りではなく、昭和の頃のように神秘のベールに隠すでもなく、周囲の人のためにその能力を惜しげもなく提供できるか、、、その”覚悟”がメジャーにも問われているのではないか?

そんな気がするのだが、、、

 

(つづく)

 

2020.6.10.

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意識の変遷(その3)

 

”正しい演奏”をやるのではなく、”その時そこに居るメンバーでのベスト”を目指す

 

これは妥協でもなければあきらめでもない。

人が他者に対していらだちや怒りを覚える時、その根本を探るとほとんどの場合が、相手の

倫理観、道徳観、意識の違い、もしくはそれらの欠如に対して無意識に教育、啓蒙しようとして

いるのである。「あんた、自分がそんなんでいいと思ってるのか!」というわけだ。

 

 

だが人の倫理観に他者が踏み込むのは、しょせん不可能だし無理なのである。

「このひとはこういうひとだ」と受け入れ、自分の方が対処の心構えを変える、もしくは

あることをきっかけとして相手が”なにか”に気がつき、自発的に動き(変化)を見せるような

ものをそこここに”散りばめておく”くらいしかできない。もっとも散りばめて気付いてくれる

相手であればこんなに簡単なことは無い。

 

 

職業ミュージシャンとして、以前の私がもっとも勘違いしていたのはその点であった。

つまり若い修業時代に先生や先輩から受けてきた道筋には、レッスンにしろアンサンブルの場に

しろ、当然《啓蒙》《教育》といった要素が含まれていたのだが、その感覚をそのまま仕事に

持ち込んでしまっていることに、田口さんのその言葉で気付かされたのだ。

 

 

《啓蒙》にしろ《教育》にしろ、感覚として結局それらは「上から下にあたえるもの」なのだ。

そういった教育現場感覚をひきずったまま、アンサンブルの場やレッスンの場に臨むと、大体

”マウントの取り合い”のような、おかしな空気になってくる。そしてクラシックミュージシャン

の場合、そういった教育的要素、啓蒙的要素が、実際の音楽現場に持ち込まれることに違和感を

持たない人が割合として多い。いわば《修行における人間関係構築》と《現場における人間関係

構築》の混同である。

 

 

「ではその場の音楽をよくするための提言はなにもしないのか?」

そう、できればしたくない。

無責任ですか?わたし。

そうね、そもそも”責任”なんてだれにもとれるわけがない一種の誇大妄想、もしくは自意識過剰

である気すらしているこのごろ、、、。

ちかごろ大切だなと思うのは、その場にいる人が各自、自力で”なにか”に気付けるような空気を

つくること。「自分が変わることでこの場に貢献したい」という気持ちが各自(当然わたしも

含まれる)に芽生えれば、他者の様子に気を配る雰囲気や、状況をよりよくするための会話が

自然と生まれるはず。

これは”教育””啓蒙”の意識からできる空気感とは、全然別種のものである。

 

 

以来、自分の感覚とちがうものをいかに許容できるか、もしくは戦わず離れるか、が大切だと

日々感じている。こういった”妥協”を許せないひとというのは、おそらく自分の感覚というもの

を尊重し過ぎなのだろう。「社会の中でどう生きるか」が重要だった若い日々から「社会の中で

生かされている」ことに感謝する方向に、現在のわたしの意識は(少しずつではあるが)移り

変わりつつある。

 

 

(おわり)

 

2020.5.28.

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意識の変遷(その2)

 

たまたまでもないと思うが、その”すごいひとたち”はクラシックギタリストではなかった。

フォルクローレの木下尊惇さんとジャズの田口悌治さんとは今から約20年前のほぼ同時期に

出会う事が出来た。

 
木下さんの演奏に触れた時、おなじクラシックギターという楽器を使っているにもかかわらず、

演奏から何故こんなにも土の香りがするのか不思議というか衝撃だった。木下さんは未熟な私を

ケーナの菱本幸二さん、ピカイアのメンバー、そして高橋悠治さんのような音楽家のみならず、

福島のご友人をはじめ本当にたくさんの方々と繋げてくださった。

そういえば高橋さんのピアノ演奏からも、木下さんとおなじごつごつした”土の香り”が感じ

られる、、、

 

 

そしてやはり同じ時期、ヴァイオリンの荒田和豊さんの御紹介でフルートの故齊藤賀雄先生の

アンサンブル講座を受け始めた。荒田さんからはオーケストラや室内楽のアプローチを学び、

齊藤先生からは”音楽を活き活きとさせるには?”というアプローチを目の前で実際に示して

いただいたことが非常に大きかった。

 

 

田口さんからは木下さん同様、現在も本当に多くのご示唆を頂き続けているが、過去その中の

ひとつに私の意識を決定的に変えるお話があった。

田口さんがお若い頃体験された”あるセッション”の話だ。

 

 

その日あつめられたメンバーのなかで明らかにベースのひとのリズムがおかしかった。演奏中

そのひとに向けて田口さんはずっと「これが正しいリズムだよ!」と示すようなプレイを

続けた。すると合い間の時間に別の先輩から田口さんの方が諭された、というのだ。

先輩曰く「あいつよりもお前の方がリズムが100倍いいのはよくわかる。だけどあいつも

”今日のメンバー”のひとりなんだ」

意識を変えた田口さんは、演奏する時にそのベーシストのリズムに少しだけ歩み寄ってみた。

するとそれまで「原因はわからんが、なんかノリにくいな」と感じていただけのベーシストが

「おっ?なんか知らんがさっきよりノリやすい」という感じで、その場のアンサンブルが

”いい空気感”になった、、、というのだ。

 

このとき田口さんは学ばれたそうだ。

「”正しい演奏”をやるのではなく、”その時そこに居るメンバーでのベスト”を目指すことが

大切だということですね」

 

 

(つづく)

 

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