プロ・ミュージシャン(その1)

 

世の中の多数の人が持っている《ミュージシャン像》というものの中で「これは誤解では

ないか?」と個人的に思えるものを、ふたつほど取り上げてみたい。

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*【音楽的才能(資質)がないとプロ・ミュージシャンにはなれない?】

 

これに関しては、わたしが活動していること自体がひとつの証明になるのではなかろうか、と

思うのだが、、、。

 

以前のブログに載せたことがあるが、私が7歳から16年間師事した故坂本一比古先生は

私の目の前でハッキリとこうおっしゃった。

「子供のころから松下君を見ていて、この子は才能は無いな、と思った。」

し、ししょー、、、そんなぁ、ミもフタも、、、でも事実だからしょうがない、、、。

 

あと、わりと最近の話だが、小学校時代の同級生の母親が、私の母に話した内容を以下に要約

する。

 

~うちの息子も小学生の頃からピアノに打ち込んでいて、将来はプロ・ミュージシャンになりたいと思っていた(筆者注:そういえば確かに彼は小学校時代、校歌の伴奏をしたりしていた)。絶対音感も持っていたし、自ら作曲もしていた。だが父親に反対されて結局別の仕事に就いた。資質も才能も充分にあったのに、と思うと、母子して未だに悔いが残る。~

 

ああ、なるほど、、、私の場合、資質や才能は無くとも、とりあえず環境には恵まれてたという

ことなのだろう。ただ私の場合は非常にわがままだったので、だれが反対しようと自分の責任の

もと、やりたいことはやってきた。《それが出来る人間に育った》ということが、つまりは

”いい環境に育てられた”ってことを意味するのかもしれない。

 

私から見て、このお母さんも冒頭に書いた『世の中の多数の人』に入るのだが、つまりはプロ

ミュージシャンになるためには資質や才能の有無が前提としてあって、その上で努力した人間が

プロになれるものだ、、、という考えなのだ。

 

私の個人的意見によると、プロ・ミュージシャンとしてやっていくのに<資質><才能>は

必要ない。

別な言い方をすれば、それらはすでに誰もが持っているので、有無を論ずること自体が無意味で

ある。

 

あとついでに言っておくと、そのミュージシャン像は、”ソロ単体で活動する分野”に対して

抱きがちなものである。

例えば「作曲家」「ピアニストやギタリストの《ソロ活動》」などに対するイメージなどが

その典型であろう。

 

確かにそれらの世界には、天才と称される一握りのひとたちも存在はしている。

だが実際ほとんどの場合、演奏というものは他者との共同作業であり、そこに天才性は求められ

ないのだ。

先に挙げた”作曲家”や”ピアニスト、ギタリストのソロ活動”でさえも、創作や練習以外のところ

では他者との共同作業、つまりは《ひととどう触れ合うか》が最も重要なことであることに

なんら変わりはない。

 

”絶対音感”というものについても世の中に蔓延している”能力的イメージ”があるが、プロ活動

する上で一切必要ない。これは持っていない人間のやっかみではなく、持ってる私が言う

のだから間違いはない。

 

プロは誰でもなれる。

「私はプロでーす。」と、ひとり看板を掲げればよいだけの話。

(そういう意味では飲食業などと一緒だが)”オープンすること”よりも”維持する

こと”の方がはるかに切実である。

維持するには、私のような個人経営の場合には業務を拡大、発展させていくよりも、ギター

講師としての経験、あるいは自分の人格を地道に育ててゆくのがベストかな、と思う。

 

(つづく)

 

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コンサートからコンサートへ、、、

 

先日、11日(日)に福岡市内の甘棠館show劇場で、姫路のミュージシャン山田賢氏との

コンサート”薄明りの対話”を無事終える事が出来た。ご来場くださった皆様に心から御礼

申し上げたい。

 

 

着飾ることもなく普段着のままステージに立った平成生まれの彼の主張および世界観は、

ハッキリとはしているが、やわらかく優しいものだった。同じステージの上でこちらはと言えば

昭和的なキラキラな衣装を身に纏い、ゴリゴリと主張をする、15年後の音楽業界から見たら

おそらく”イタイ世界”。

事前に確認することなく当日フタを開けたらそうだった、という事だが、面白いのでそのままに

しておいた。統一するのでなく異質なものが共存している方がこちらとしても理想である。

 

 

「音楽をする」「音楽に触れる」という行為が、ひとびとの日常において(特別感のない)

自然な行為となる日が、牛歩ではあるが近づいていることを”山賢ワールド”は示していた。

「その時それまで特権的にふるまってきた”職業ミュージシャン”なるものの存在は四散し、

世の中すべてのひとが芸術家となり得る日がおとずれる」とするのは、ただの子供じみた夢想で

あろうか。

 

 

私が生きている間は到底無理な気がするが、それでも流れはそちらに向かっている気がする。

彼が手にぶら下げた火箸の美しい余韻。決して器用に操っているわけではないが、しっかりと

場に存在している彼の声、グロッケン、そしてギター、、、。

”演奏”よりは”おと”と向き合う時間と言えるだろうか。

 

 

コンサートの始まりは、企画が決まった瞬間から、、、と最近は感じる。

その日から当日まで、《主催者》《共演者》《お客さんの期待》とどのような人間関係を結んで

ゆけるか?近頃はそこにしかコンサートの価値を見出せないでいる。

そういえば武満徹さんと谷川俊太郎さんの対談の中での言葉にこんなものがあった。

 

(仕事を引き受けるときの自分の中の選別の基準について)『《肯定できる人間関係》と

いうものを、その仕事をやったときにつくり出せるかもしれない、というときだけ』

 

十年以上前にこの言葉に触れて以来、これは仕事をするときの私の中の基準にもなっている。

 

 

お客さんというものも、実際には当日の演奏内容だけを楽しんでいるわけではなく、《当日の

演奏をききながらも、その演奏の裏で積み重ねられてきたもの》の存在を感じているに違いない

のである。そのことに関しては私の中にかなりハッキリと確信がある。

そこを軽視し、「当日の演奏がうまくいけばお仕事としてOK」という認識程度の、職業的

ミュージシャンと時間を過ごす気はさらさらない。

 

 

コンサートからつぎのコンサートへ、、、共演者、主催者、お客さんから感触をいただきながら

(うまくいったこと、いかなかったことを踏まえながら)いつ死んでも悔いがない前傾姿勢を

保ち続ける、、、近頃そんな想いの、垢ぬけない昭和ギタリストである。

 

2018.3.15.

 

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”薄明りの対話”

 

来たる2018年3月11日(日)姫路のギタリスト山田賢さんと私、松下隆二のふたりでコンサート

”薄明りの対話”を開催する(13:30開場/14:00開演)。

 

 

開催日がこの日になったのはたまたまである。福岡市内の会場である《甘棠館show劇場》が

この日しか空いていなかった。

”このふたりでやってみたい曲”を、半々ずつ出し合うことにした。

選曲にあたり、こちらから彼に伝えたことはひとつだけ。

「震災のことは意識しなくていいですから」

 

 

ふたりで持ち寄った曲をならべてみると、まさに現在の山田賢と松下隆二のふたりにしか

出来ないプログラムのような気がした。他の共演者と”そのときやりたい曲”をならべたら当然

違ったものになるだろう。それぞれの関係でのベストを尽くすのだが、今回のように自然に

無理なくピントが合った経験というのは私にとって初めてのことかもしれない。

 

 

歳はまだ20代後半であるが、山田賢さんはすでに自分の世界を手にしているミュージシャン

である。

このたび彼がデュオ用に提出した曲は6曲。ブラジルがあり、(音階的ではなく思想的に)

強く日本を意識したオリジナル曲があり、アルゼンチンがあり、アルメニアがある、、。

その山田賢ワールドと対話すべく、こちらから投げ込んだ曲が7曲。韓国がからみ、沖縄が

からみ、キューバがからみ、ブラジルがからむ、、、。

 

 

今回のコンサートに向けた新作の譜面を、年明けから出来上がる都度、山田氏はこちらに送って

くれた。”小林一茶” ”石牟礼道子” に対するオマージュとなっていたりすることから、現在の

彼が《俳句》というものから栄養分を摂っていることが見て取れる。

仕事の合い間をぬってその譜面と対話するさなか、石牟礼氏の訃報が飛び込んできたりもした。

今回まるで”筋の通った偶然”に導かれているような、不思議な感覚だ、、、。

 

 

演奏者にとっては、演奏を始めるまでが、曲を取り巻くさまざまなことと向かい合える貴重な

時間である。その時間に自分の人格を育て、いざ演奏が始まったら我々ミュージシャン

に出来ることはなにもないのかもしれない、、、。

 

そんなことを気付かされた、この度の企画である。

 

 

2018.3.2.

 

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予習の意義

 

”習いごと”というものは、予習よりも復習のほうが大切だと常々思ってきた。

しかし最近は「一概にそうとは言えない、やはりどちらも大切だ、、、」という気がしている。

 

~その生徒さんがどのようなタイプの予習をしてこられたか?~

 

これ次第で、毒にも薬にも成り得るのが《予習》というものである。

私が考える理想の予習とは「弾けないものをあらかじめ弾けるようにしておくこと」ではない。

それを先にやられると、レッスン時の生徒さんに必要な”柔軟な対応力”が、かえって阻害されて

しまうことが多い(特に年配の生徒さんは要注意)。

それよりも「事前に練習することで、自分の現在の疑問点や技術上の難所をあぶり出し、

レッスン時に質問出来るように溜め込んでおくこと」が、予習のメリットだと考えている。

そしてそれらに対し、レッスン時に先生からもらったアドヴァイス、練習方法や考え方を

持ち帰り、それを家で自分で実践するのが《復習》である。

ちなみに実際の自分の能力や技術が向上するのは、この復習作業のなせる業であろう。

 

 

「自分をガチガチに固めるための予習だったら、してこない方がマシ」

と、これまでは考えてきたのだが、今どきの若いもん(こんなことを口走るなんて年とったナ)

を見ていると、割と打算的理由により始めっから「間違ったことをやるより、習ってから

取り組んだ方が無駄がない」と考えているひとも、数多く見受けられる。

それってどうなのよ。

予習というものは本来、(ひとから強要されない)楽しい試行錯誤の時間のはずだ。

別な言い方をすれば、それは身の内から自ずと湧き出る”情熱のほとばしり”ではないか。

そこをひとさまに委ねて、なにもしないのか、きみは!

 

 

前から取り組んでいるジャズの疑問が溜まりきったところで、つい二日前のことだが久しぶりに

ジャズギタリスト田口悌治さんのレッスンを受けに行った。

こちらがぶつけた【?】に、すべて丁寧に答えてくださり、長年の疑問や悩みがいくつも解消

した。実践力をつける為に、あとはしっかりと復習するだけだ。とにかく今回受けたレッスン

では《予習の意義》というものを、強く痛感したのである。

 

 

ちなみにそれと同じ日の出来事であるが、一人暮らしの年老いた母のもとに一本の電話が

入ったそうである。

「もしもし、、、おれ、、、りゅうじ、、、、」

「りゅうじ?どうしたんね、あんた。声がぜんぜんちがうやん。」

「うん、、、かぜひいて、、、、会社も休んだ、、、」

「会社って、あんた、、、会社やら行きよらんやん!」

「、、、、、プツッ、、、、ツー、ツー、」

 

 

あまりに行き当たりばったりではないか、、、、情けない、、、(カクッ)。

息子の職業くらい、せめて予習しとけよ、、、、。

 

(おわり)

 

 

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亡父との対話

 

今回、特に私的な話になることをお許しいただきたい。

 

父、松下志朗が亡くなって、まもなく一年が経とうとしている、、、、

という、音楽とはおよそ関係のない話なので、ご興味のない方はお読みにならないで結構で

ある。

 

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生前はその仕事ぶりや業績にほとんど関心が無かった私であるが、日常においてここ一年

”仕事人としての父”の影を、追うとはなしに追うている自分がいる。

 

父が亡くなった直後、生前の対話がいかに少なかったかをフォルクロリスタの木下尊惇氏に

告げたところ、

「亡くなってからの方が、むしろ対話がしやすい面もあります。」

 

当時、やはり画家であるお父様を亡くされて、まだほどもなかった木下氏のその言葉に背中を

押されるように、私も亡き父との対話を始め、今日に至っている。

 

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詩・文学の世界からスタートし、古文書研究、石高制研究、奄美研究、筑豊石炭史、九州被差別

部落史、ハワイ日系移民史、九州各県各市の県史・市史編纂、、、さまざまな挫折と試行錯誤の

末、”ひとりの郷土史家”と最終的に自分を位置付けた父の書斎には、まさに数限りないほどの

本が、、、。

 

「いるものは今のうちにもっていきなさい。あとは全部処分するから。」

母にうながされ、古本屋二件分は確実にあるだろう、というくらいの量の本の中から兄と私が

それぞれ選んだものは、笑ってしまうくらい傾向が違っていた。無意識のうちに兄は歴史関係の

もの、私はほぼ文学関係のものを選んでいた。

 

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まるで森の中を彷徨うかのような父の書斎であったが、父の仕事机の真後ろにあるガラス扉付き

の本棚だけは、父にとって”特別に神聖なもの”と感じさせる何かを漂わせていた。

それは父にとって聖域であり、まさに活動の原点でもあった。

私はその棚から”魯迅選集”の他、谷川雁、吉岡実、山本太郎、ボードレール、ラングストン・

ヒューズ、そして若い頃の父が自費出版で出した詩集を遺産分けしてもらった。

 

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生前、自叙伝『遠い雲~ある地域史研究者の足跡/松下志朗著(海鳥社)』を書き残してくれて

いた為、その足跡は比較的追いやすい。

だが本人が心底大切に思っていたはずの詩・文学との関わりの話となると、自叙伝のなかでも

ゴニョゴニョと、お茶を濁している感が否めないのである。

谷川雁氏が主宰する”サークル村”に参加し、《郷田良》というペンネームで、森崎和江、石牟礼

道子各氏と交流するなか、かなり積極的に詩を発表していた時期のことに関しては、大学の

文学部に在籍していた縁で結婚した母に対しても、生前全く話そうとしなかったらしい。

 

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本日二〇一八年二月十日、石牟礼道子氏の訃報に接し、心からお悔やみ申し上げたい。

『苦海浄土』などの著作を通じ、水俣の惨状と日本社会に対する警告を静かに続けた氏の活動

原点が、”踏みにじられたものと共に歩むこと”であったことは想像に難くない。

《郷土史家》という立ち位置ながらも、父の立脚している地面は、石牟礼氏のそれと同じだった

ことを、”死後の対話”が進むにつれ、強く感じる。

 

「中央支配層と地域を比較する方法で歴史を検討するのでなく、その土地その土地でのことを

個別のケースとして見つめるところから、見えてくるものがあるはずである。」

 

生前は仕事相手のみにそのような熱弁をふるっていたに違いない父が、ようやく最近になって

あの低い声で、私にはっきりと話しかけてくるようになった。

 

 

2018.2.10.

 

 

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