ここ最近の出来事(その2)

 

ここ数年で自分にとっての”佇まいが美しいひと”というのが直感的にわかるようになってきた。

 

”ザ・インパルス”のおふたりの佇まいは本当に美しいと感じた。

無論私の個人的直感である。

だがこの歳になって自分の直感以外にアテに出来るものが如何ほどあろうか?

 

初対面の私を見たときのその真っ直ぐな視線、他者に対する敬意とやさしさ、、、

そこには一切のウソやごまかしが無かった。

視線と言葉を交わしたのはほんの1分間ほど、、、。

本当にビューティフルなおふたりであった。

 

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「河内さんと池田さんにくれぐれもよろしゅう言うといてぇー」

荒田ご夫妻と別れた後、わたしは徒歩でその晩のリサイタル会場である北九州芸術劇場

《小劇場》へと向かった。

 

北九州在住の若い名手、河内健晟さんのリサイタルは、前半が『展覧会の絵(M.P.ムゾルグ

スキー/山下和仁編)』全曲演奏、後半が師匠の池田慎司さんとのデュオで『夏の庭組曲

(S.アサド)』全曲演奏という大変貴重なプログラム。

 

じつはわたし、小3の時、母に連れられて山下和仁氏の『展覧会の絵』全曲演奏会に行ったこと

がある。ところがその時は山下氏の熱演を子守歌代わりにほぼ寝ていたので、今回の河内さんの

演奏が私にとって実質上初演体験のようなものだ(苦笑)。もちろん世界中にセンセーション

を巻き起こした山下氏のこの曲の演奏については、LPレコードを通じ、その後何度も聴いたの

だが、、、。

 

他に誰も弾かないし弾けないので、山下氏の演奏以外に比較対象がないのだが、河内さんの演奏

は山下氏と違う演奏スタイルにもかかわらず、見事に音楽として成立していた。

曲中、超絶技巧を駆使する難所においても、難所と感じさせないような健全な演奏が現在の

河内さんの特徴であり魅力である。

前半が終わった時点で会場は盛大な拍手に包まれた。

 

そして後半はデュオ演奏によりさらに世界が膨らんだ。

言ってみれば今回のプログラム、前半が”ソロの究極”、後半は”デュオの究極”と言ってもいい

選曲である。プロギタリストさえ手が出せない、ただただ見上げるばかりの曲である。

それらを今回このふたりは、”手の届かない遠いもの”ではなく、みんなの身近に”ただ音楽と

して”それらを掲示したのだ。結果「技術がすごかった!」となりがちな感想が「いい音楽、

そしていい時間だった」と多くのお客さんが感じたはずだ。それがどれだけ難しいことか、

凡人の私にはよくわかる。

池田氏の弟子溺愛MCはさて置いて(笑)、このリサイタルを成功に導いたおふたりを心から

尊敬し、祝福したい。

 

開演前ロビーにいた時、長年の知り合いであるギタリスト橋口武史氏の奥様から山下紅弓さん

(山下和仁氏の御息女)を紹介された。福岡でリサイタルをされた折、客席から見上げたことは

あったが、紹介される前からまるで十年来の友人であるかのような真っ直ぐな視線は、やはり

ザ・インパルスのおふたりの時と同じような美しさを感じた。

一日に二度もこういうことがあるのだな、、、。

 

紅弓さんの心には河内さんの演奏がどう響いたのだろう?

その日最も感想を聞いてみたい人ではあったが、また他日機会があるかな。

 

しまった、、、荒田氏の”よろしゅう”を伝えるのをすっかりわすれてた、、、。

 

(つづく)

 

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ここ最近の出来事(その1)

ここ数日のあいだの三つの出来事についてレポートしたい。

三ついっぺんだとかなり長くなりそうなので、三回シリーズに分けて、立て続けにアップして

ゆくつもりである。

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去る2017年9月30日(土)の夕方、私は地元の福岡市から高速バスで約1時間移動した

ところにある北九州市小倉の街中を歩いていた。歩いている道沿いに流れる紫川、そして川を

渡る橋の向こうには小倉城の天守閣がチラチラ見える、、、。

なぜチラチラかというと、お城のすぐ横に14年まえにオープンした大型複合商業施設”リバー

ウォーク”が本来ならこの角度でバッチリ見えるはずの天守閣をほぼ隠してしまったからで

ある。全く商業の世界というのは、、、とブツブツつぶやきながらもその日用事があるのは、

じつはその商業施設なのであった(苦笑)。

 

 

しまった、左折する道が一本早すぎたようだ。まあ、今日はゆっくり食事をするつもりで早めに

北九州に着いたし、急ぐことはない。もう一本向こうの道路に行ってから左折し紫川を渡ろう、

と信号待ちしていたところ突然「マツシタさん!」と声がかかった。

振り向くとそこには九州交響楽団ヴァイオリン奏者の荒田和豊さんがいつもと変わらぬ笑顔で

立っていらっしゃるではないか。

「あれえ~?こんなところで~!どないしはったんですか~?」

に始まりお話をよくよく伺ってみると、むかしキャバレーでダンサーをやっていた義理の叔母

に当たる方が、すぐそこにあるギャラリーで当時の衣装や写真をディスプレイした”回顧展”を

開催しているそうだ。

「よかったらちょっとのぞいていきません?ご紹介しますから。」

その一言に甘えて結局ご一緒させて頂いたのだが、すごかった、、、。

the impulse

 

かつて石炭の積出港として賑わった北九州若松。そこで昭和30~40年代に全盛を誇った

”キャバレーべラミ”

荒田氏の義理叔母さんとその旦那さんは”ザ・インパルス”というユニットを組み、「べラミ」を

拠点のひとつとしながら、ゴージャスな衣装と華麗な演出で一世を風靡したそうだ。

the impulse (2)

 

わたしは昭和46年の生まれなのでキャバレーに足を運ぶ年齢になる前に既にそういったものは

世の中から姿を消していたのであるが、子供のころの記憶としてキャバレーの看板などを見ては

”子供が見てはいけない大人な世界”=”怖い場所”

と勝手にイメージしていた。

 

ところがこの年齢になってみると、なんとまあ楽しい世界であろう!

文字通り”きらびやかな”ダンサーたち、お色気ネタのお笑いコント芸人、ミュージシャンらが

次から次に現れる、まるでおもちゃ箱をひっくり返したような世界である。

そこに”昭和の日本”独特のアングラ感も加わり、なんと刺激的!後世の私の眼から見れば、

まさに寺山修司のような世界、、、。

 

荒田氏のご紹介で”ザ・インパルス”のおふたりにもご挨拶出来、至福のひと時であった。

おふたりの気品に満ち溢れた表情が強く印象に残った。

the impulse (3)

 

その後、紫川沿いのホテルのレストランで荒田ご夫妻と楽しくお茶をご一緒し、その後本来の

目的地である”リバーウォーク”内の北九州芸術劇場《小劇場》へと再び足を向けた寄り道ギタリ

ストであった。

 

思えば私が初めて世に出した自主製作のソロCDはK.ワイル(1900~1950)のキャバレー

ソング

”I’m a stranger here myself”

をタイトルにしたものだったなあ、などと考えながら、、、。

 

(つづく)

 

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証人は何処に、、、?

 

福田進一氏の自叙伝『6弦上のアリア/DVD付』(Gakken)は面白い内容だった。

 

 

前半は氏の修業時代から当時世界最高峰のパリ国際ギターコンクールに優勝されるまでの話。

後半は6人の著名人との対談、という構成だが、特に前半を興味深く読ませて頂いた。

これは当時を知る人にしか語り得ない、まさに《昭和ギター界》のドキュメンタリーだ。

本書の中で作曲家の野平一郎氏がご指摘のように「福田以前」「福田以後」で日本のギター界

が大きく変わったのは、誰にも否定できない事実である。

そういう意味でも、氏の足跡は《戦後日本ギター史の発展そのもの》と言えるだろう。

 

 

拝読していて”目が点”になった箇所がひとつあった。

A.ポンセ先生(E.プジョール門下)との出会いのくだりで紹介されてるエピソードのひとつ。

 

~『君の演奏テープを聴いたよ。悪くない、悪くない(セ・パ・マル)』

のちに知ったのだが、この先生風の発音で言うと「シェ・パ・マル」はポンセ先生の最大級の

賛辞だった。「トレ・ビヤン」とか言う時は、まあまあだという意味。

そう、ちょっとひねくれた先生だったなぁ。~(本書より)

 

留学後23年が経過した現在の私はこの記述により、当時ポンセ先生から褒められていたのだ、

という事実を今さらながら知ったのだった。というわけでここからは23年越しのささやかな

”自慢話”である(笑)。

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ある冬の早朝、その日の”レッスン一番手”をポンセ先生から仰せつかっていた私は、眠たい顔を

ぶら下げながらエコール・ノルマル音楽院に向かった。

ポンセ先生のレッスン部屋”サル・エミリオ・プジョール”は、いつもは他の学生の聴講で一杯

だが、朝8:00のせいかまだ誰の姿も見えない。寒い部屋の前で待っているとやがて先生が

現れた。珍しくマンツーマン状態でその日のレッスンは始まった。

 

いつもは年間課題曲(全5曲)のレッスンしかして下さらないが、「この日はルイジ(私の

こと)のやりたい曲を持ってきて良い」と前もって御達しがあったので、日本に居るときから

練習を積んでいた《主題、変奏と終曲/M.M.ポンセ作曲》を私は選んだ。

ポンセ先生若かりし日の”お得意レパートリー”だったこの曲を、是非診て頂きたかったのだ。

いつもは非常に柔らかい音色を好まれる先生だったので、先生のお好みに合うようにと柔らかめ

に弾いたが、私のそんな内心を見抜かれたのだろう。

「この箇所はもっと固い音を使いなさい」

これはポンセ先生としては非常に珍しい一言だったのでよく覚えている。

 

そしてレッスンの終わりに今も忘れられない印象的なトーンで先生はこうおっしゃった。

「この曲は非常にむずかしい曲だ。でも良く弾けているよ、ルイジ。悪くない(シェ・パ・

マル)」

その時はそれが”先生最大級の賛辞”だなんて知る由もなかった。

当たり前だ、チキショー!(笑)。自信を失っていた時期だっただけに、当時分かっていれば

随分勇気づけられただろうに、、、。

他の誰も見ていない(したがって証人もいない)ある冬の朝の出来事であった。

 

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その3年後(つまりは今から20年前の話)、一年の準備期間をかけて臨んだ”東京国際ギター

コンクール”で落選し、失意のずんどこ、いや、どん底に居た私は、福田先生に誘われるがまま

ハバナ国際ギターフェスティバルに参加すべく空の旅人となっていた。

 

フェス参加の主な目的はコンクール出場ではなく、世界各国から集まる凄腕ギタリスト達の

演奏に触れること、彼らからレッスンを受けること、であった。なかでもフェスの総監督であり

作曲家、指揮者としても当時活躍していた巨匠レオ・ブローウェルのマスタークラスを受講する

ことが、その時一番の目的だった。

 

あのブローウェルが目の前にいる、、、。

本来の私だったら緊張しまくっているはずだが、フランス留学直後で海外免疫が付いていたこと

と、時差ボケなどの要因もあり、物怖じすることもなく奇跡的なほど自然体で受講することが

できた。

曲はまたしても《主題、変奏と終曲/M.M.ポンセ作曲》。

ブローウェル氏のレッスンは、ある時は作曲家としての観点から、またある時は指揮者としての

観点から、この曲をオーケストラ作品として見立てた非常に興味深い内容だった。

 

レッスンの最後にブローウェルが私を指さしながら聴講のお客さん達にスペイン語で演説し

始めた。内容が全く分からない、、、。雰囲気としてはどうも褒め称えてくださっている

ようだ。ただブローウェルの指導法および教育方針として「取り敢えず受講生を褒めることが

大事」だと考えていらっしゃることは予備知識として知ってはいたので、私はいたって冷静と

いうか半信半疑で立っていた。スペイン語による”まくしたて”はかなり長い時間続いた。

 

盛大な拍手を受け、舞台を降りた私はあっという間にキューバの若い学生たちに取り囲まれ

”コングラッチュレーション!(おめでとう!)”

と文字通り”熱烈に”祝福された。よっぽど褒めてくださったに違いない。

 

ところがこの時日本から参加していた福田先生をはじめとする御一行様(計3名様)は、

ハバナから車で数時間かかる”バラデロ海岸”にて、なんと海水浴を楽しんでいたのだ!

したがってまたもや証人のいない、ある夏の出来事であった、、、。

 

しかし受講している最中、(舞台の上から)私は客席に居る”ある老人”の存在に気付いていた。

私の”ブローウェル・レッスン”に客席から熱い視線を注いで見てくださっていたのは、ほかでも

ないキューバ・ギター界の長老であり、L.ブローウェルの師であるイサーク・二コラ(E.

プジョール門下)そのひとであった。

 

フェスが終わり、帰国した私は、当時お世話になっていた某ギター専門店の社長に

「ブローウェルに褒められました」

と報告したところ、

「いや、そんなウソは言ったらいかん。ウソはよくない、、、うん」

とハナッから取り合ってくれなかった。

 

ちきしょー、、、。

 

2017.9.14.

 

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コメンテーターへのコメント

 

事の経緯は8月20日。東京都世田谷区で行われたコンサートで、日野の指導を受けた中学生約40人がジャズを演奏した。その際、日野がドラムの男子生徒のスティックを取り上げ、顔面に打撃を加えたと一部で報じられた。~『スポーツ報知2017.9.1.』

 

文春が証拠動画付きで報道し、先日から話題になっているジャズ・トランぺッター日野皓正氏の

《ビンタ騒動》に対し、コメンテーターと呼ばれる人達が以下のような見解を出した。

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「感情をコントロール出来ない人が指導者なのは驚き」(フィフィ)

「僕も子役さんを扱っていますけど、たたかない、たたく必要がない、今のご時
世たたいちゃ駄目」「熱いのと手を上げるのは別」(坂上忍)

「暴行までいくのは良くない。しかも、動画でどこでも撮影されている時代。み
んなが見ている前で暴行をしてしまうのは…」「20年前なら許される事でも駄
目だなと思う」(古市憲寿)

「言葉よりも音で伝える仕事ですから、不器用な人と不器用な人がぶつかって、
ステージの上でこうなってしまった。手が出てしまったのはすごく残念です」
(高木美保)

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マスコミが騒ぎ立てる一方で、その中学生本人と親は”場を乱したこと”に対し既に謝罪して

おり、今後も日野氏の指導のもと活動を続けてゆきたい、とのコメントを出しているのでもはや

穏便に解決しており、周りがとやかく言う問題ではない。

 

 

今回のことで私がいささかグロテスクに感じるのは、俗に”コメンテーター”と呼ばれる人達の

感覚と存在意義についてである。まあ、少ない情報を頼りに番組の中で即効性のあるコメントを

出さなければいけない立場なのはわかるが、物事の表層だけを見てせっかちに結論まで辿り着く

ことを一体世の中の誰が必要としているのか?

 

 

あと音楽というものの本質を、上に挙げたコメンテーター全員が理解していない。

今回の件を、例えば40人の仲間が協力し合いながら畑をたがやしている状況だと考えてもらい

たい。日野氏の指導のもと、広い荒地を耕し畑を作り、そこにみんなで作物の種を蒔いた。

雑草を採り、水をやりながら仲間と月日を重ねた。やがて芽が出た。その時仲間の一人が突如

クワで畑を掘り返し始めた。みんなで長い年月をかけた畑がみるみる壊れてゆく。

日野氏は駆け寄ってクワを彼からとりあげた。すると今度は引き続き手を使って掘り返し

始めたのだ。日野氏はビンタすることでようやく彼の行動を止めるに至った、、、。

 

 

上記のコメンテーターたちにとって”音楽”というものは、人生を生きる上で、単なる飾りものに

過ぎないのではなかろうか。

だが誠実に音楽をする人間にとって音楽とは、畑であり、社会であり、言語であるのだ。

 

 

その後のコメントをみても日野氏は冷静であり、決して「感情をコントロールできない人」

ではない。日野氏の行動が”暴行”だろうか?音楽にとっては、そのひとりの中学生のとった行動

の方がはるかに”暴行”の言葉にふさわしい。

「熱いのと手をあげるのは別」と言ったコメンテーターは、畑が全滅するまでに言葉で説得し、

やめさせる自信があるのだろうか。

「言葉よりも音で伝える仕事ですから、不器用な人と不器用な人がぶつかって、ステージの上で

こうなってしまった。手が出てしまったのはすごく残念です」

ちがう。みんなで作り上げる大切なステージだからこそ、日野氏はそうやってでも止めざるを

得なかった。あと”音で伝える仕事”の人間が、《言葉のコミュニケーションに関して不器用》

だと決めつけていないか?

私の仲間ミュージシャンを見回すと、実際言葉の面でも雄弁なひとの方がはるかに多い。

 

 

音楽をやるひとにとって、音を発している時点でそれは既に言語であり、アンサンブルはその場

の空間を共有した会話なのである。演奏に耳を傾ければ、その人がどんなにやさしいひとか、

どんなにきびしいひとか、繊細なひとか、ズボラなひとか、感じとれるものである。

 

 

今回の件に関して、音楽というものがここまで誤解されていることを感じるコメントばかりで

なければ、私のこんな駄文は全く必要ないし、そんな世の中だといいなと思う。

 

 

 

「演奏前にドラムをたたき始めたから『バカヤロー』って怒ったのに、まだやめないからちょっとたたいた」

「うまいんだよ。ちょっと周りとうまくいっていないみたいだけど」

「小澤征爾さんのコンサートで、小澤さんが指揮する前から指揮する奴はいないだろ」

「それで済んだ話なんだ。お前ら記者が騒ぐと、お前らがその生徒をいじめることになるんだぞ。周囲から『あ、お前が例の生徒…』ってなるんだから」(日野皓正)

 

2017.9.2.

 

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音楽と演奏と、、、

 

木下尊惇さんとの九州ツアーが昨日無事終わり、今日福岡に戻ってきた。

 

旅を共にしながら、旅の中で木下ご夫妻の生き方、フォルクローレ哲学を今回も学ばせて

頂いた。

旅を通して、あるいはコンサートを通じて出会った皆様と非常に多くの切り口で通じ合える

木下氏を見て、今回の私は、ただただ感嘆するしかなかった。

 

田んぼ、自然界の動植物、プロ野球(木下氏は筋金入りのカープ・ファン)、食文化(いわゆる

グルメとは違う)、宗教、歴史、政治経済、伝統工芸、ふくしま、フォルクローレ音楽など。

それらのことが広く深い視野で語られる時、本当に多くの人と深いところで共感し合える現場を

今回も数多く目の当たりにした。

 

そしてそれらのことすべてが、木下氏の音楽、演奏と繋がっているのだ。

 

なんてこった、、、。

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今から話すことは個人的な感覚である。ミュージシャンを代表して言ってるつもりはないし、

べつに模範だとも思わない。

 

その日、その時、その場に居てくれる人のために私はギターを持つ。

これは間違いない事実である。

だが顰蹙を買うことを覚悟して敢えて言うと、たとえお金を戴いていたとしても、一旦演奏が

始まると、私は”お客さんのため”には演奏していない。

かと言って”自分のため”という感覚でもない。

”音楽のため”?

これもちょっと感覚的にしっくりこない。

きっと”なにかのため”には演奏していないのだろう。

これはかなり誠実に言ってるつもりである。

 

お金を戴く、戴かないに関係なく、演奏行為はすすんでゆく。

”難関を次々にクリアしてゆくゲーム”とも違う感覚。

音楽する行為は人類の歴史と共にある。つまりひとがひととして生きるために必要な行為。

職業音楽家、愛好家など関係なく、誰もが「過去」「現在」「未来」と繋がることができる

可能性のある行為。

木下氏とのツアーを終え、このブログを思いつき思いつき書きながら、ふとそんなことが頭を

よぎった。

 

 

ジャズピアニストの山下洋輔氏が対談で言っていたが、「異ジャンル間の交流」というのは、

それぞれのジャンルの『はずれもの』同士が、森の中をさまよっている時にバッタリ出会い、

「おっ?お前はあっちの部族か。じゃあ一緒になにかやってみるか?」

という感じで進むことが多いらしい。

つまり異ジャンル間交流をやるのはいわゆる「その道の王道のひとたち」ではなく、あくまで

群れからはなれた「はずれもの」らしい(笑)。

 

木下氏はけっして「はずれもの」ではなかろうが、私の場合は明らかにそれであることを自覚

している。

評判の悪い(笑)自撮りの「 you tube 動画」も決してスタンダードな演奏を目指していない

し、むしろすすんで脱スタンダードな表現を模索しているところがある。

音楽の成立の多様性。”模範”ではなく”例外”のサンプルを数多く提示することで、むしろ

”模範”というものをぼかしたい。

まさに「はずれもの」の発想かもしれない。

 

そんなはずれものの私に愛想を尽かすでもなく、いつもやさしくお付き合いしてくださる木下氏

である。

今回のツアー最初の北九州公演の舞台上で、私のことを紹介する時に、

「私は共演者を選ぶときに、フォルクローレ・ミュージシャンかどうかよりも、ひととしての

相性を重視します。私の演奏活動において、もっとも共演の機会が多いミュージシャンは、

ケーナ、シークの名手、菱本幸二さん。そして二番目に多いのがギターの松下さんです!」

 

光栄でうれしくて涙が出そう、、、。

今回のツアーのなかで最高の思い出である。

 

2017.8.22.

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