「日本の子守唄」の世界

久留米大学の公開講座で、文学部教授の狩野啓子先生と

ご一緒させて頂いてから、今年で十年になる。講座では

明治以降の作家を毎年テーマにし、作品や文献を声に出して

「音読」している。文章を「黙読」するだけでは決して

感じ取る事のできないニュアンスを体験する大切さを、

狩野先生は提唱し続けてこられた。

 

ちなみに「音読」は「朗読」のようにドラマチックに

読む必要は無い。文章の意味が浮き立つよう、区切り目や

アクセント等をあまり神経質になり過ぎない程度に、

ざっくりと配慮しながら読み進めてゆく。

 

この講座におけるギター演奏の絡ませ方だが、これが

毎回悩む。

「音読」のBGMのように使った事は、10年間を通じて

一回しかない。大概は音読のコーナーと別枠で、ギター

鑑賞のコーナーを設けて頂いている。

 

開講当初は樋口一葉などを採り上げていたが、五年ほど

前から「ギターと共に楽しむ筑後の文学」という講座タイトル

になった。これまでに北原白秋、丸山豊、青木繁(画家)、

宮崎湖処子といった人たちを採り上げてきた。

白秋の時は曲の選択肢が多く、かえって削るのに悩んだぐらい

だった。そういえば人気漫画「ワンピース」の作者、尾田栄一郎

氏がインタビューで「アイディアが無くて悩む事はない。むしろ

多過ぎるアイディアをどう削ってゆくかの作業のほうが、日々

大変です」みたいなことをおっしゃってた。

しかしとり上げる人物によっては、選曲のネタが無く、かなりの

こじつけ選曲も今までやってきた。「同時代のヨーロッパではこんな

音楽が生まれていました。」とか「作家と生没年が一緒の作曲家の作品」

とか、ひどい場合は「今回は敢えて作家と絡めないコンセプトで・・・・」

(苦笑)という時もあった。

しかしどんなこじつけ選曲であれ、一旦演奏を始めると、皆様あまり

気にせず音楽に溶け込んでくださるので、まあこちらの気持ちの問題

なのであろう・・・。

 

今年のテーマは福岡県三潴郡大木町出身の松永伍一(1930-2008)

だった。

松永氏は詩人、評論家、作家であるが、活動初期の代表的な著作に、

日本の子守唄研究のさきがけとなった「日本の子守唄」(紀伊国屋

新書)がある。今回はこの著作を主軸に音楽をセレクトした。

 

このたび改めて気付かされた事は“日本の子守唄”の特殊性だった。

海外の子守唄の大半は、おそらく母親が、自分が産み落とした

いとしいわが子を、慈しみながら寝かし付けるためのものだと

思うが、日本のそれは、貧しい農村の娘が口減らしのため、守り娘

として奉公(出稼ぎ)にだされ、そんな彼女たちの魂から搾り出された

祈り、嘆き、または呪いの結晶であるともいえる。

 

戦後歌謡としてヒットした「五木の子守唄」なども、歌詞そのものは

70くらい存在する。あるいは同じ歌詞でも、地域によって節回しが

全然違っていたりする。そして名も無き被差別階級者である守り娘たち

のなかで、それらの唄は生き、流れ、絶えず変化しながら、伝えられ、

守り娘たちの消滅と共に消えてゆこうとしている。

 

そういった民謡(まさにフォルクローレ!!)を保存しようという

感情的な動きを、松永氏は自分の著作において言葉の剣で一刀両断

する。

確かに「保存」にはその歌を生かす保存と、墓場に葬り去る保存

とがあるかもしれない。

やはり唄はその時代の中で唄われてこそ「幸せ」である、というか

唄としての寿命を全うできるのではないか。保存する事で永遠に殺す

くらいなら、風に吹かれ、土にかえったほうが唄にとっては幸せでは

ないか。

 

そういった「作品」とは呼べず、「音楽」とすら呼び難い“日本の

子守唄”の本質に触れ、ぞっとすると同時に、自分の活動や命も所謂

守り娘達の唄った子守唄のように、年がたつにつれ風化し、消えて

なくなってしまう方が望ましい、との思いに駆られた。

 

残ってしまうものは仕方ないが、出来るだけ(海岸にころがる

プラスチックのバケツのように)わが身を残したくは無い。

死後まで、自分の名前や業績を残そう、など強欲すぎないか・・・

無数の子守唄と共に墓も無く消えていった守り娘たちに思いを馳せ

ながら、そんな事を考えるこのごろである。

2012.11.7

 

 

カテゴリー: エッセイ, 生活の中の音楽 音楽の中の生活   パーマリンク

「日本の子守唄」の世界 への3件のコメント

  1. つい、松永吾一氏のお話に、コメントをさせていただきました。

    松永氏の、弱い方々に向けられた視線は、初めて拝読したときに、
    先生のおっしゃるように、なんとも言えない、衝撃を感じました。

    子守唄に込められた、深い悲しみとやるせなさは、

    今の人間にはなかなかわからないものかもしれません。

    先生がそのような活動をしている初めてお聞きいたしました。

    松永氏の活動として、私が知っているのは、

    隠れ切支丹の話であります。

    松永氏の調査で、大分佐伯出身の、ドン・ペドロ岐部という人がいます、

    日本人で初めてサハラ砂漠を横断し、ヴァチカンに行き、色んなご苦労のかてに、
    日本に危険を起こして戻り、

    長い布教と潜伏の果て、徳川家光の時代に、家光の前に引き出され、尋問を受け、

    それでも、毅然と、神の愛を唱えた方です。

    子守り歌の研究家でもいらしたんですね。

    教えていただき、ありがとうございます。

    • ryuji より:

      いつもコメントいただきありがとうございます。

      隠れキリシタンの話は知りませんでした。
      (狩野先生はたぶんご存知でしょうが・・・)
      歴史というのは大体において、権力者サイドのものですよね。
      民衆の視点というのは、記録に残らず闇に葬られてゆくものですから
      それを拾い集める事の如何に困難な事か・・・。
      私の父も、郷土史家として、被差別部落史研究家として、地味な作業に
      人生を費やしたので、松永さんのご苦労が非常に身近に感じられます。

      しかし昨年松永さんの故郷である大木町で、狩野先生と「松永伍一の世界」
      のタイトルで公開講座をやった時です。
      何か音楽がらみのネタが無いか探していたら、大木町図書館の方が「実は
      松永伍一作詞の大木町町歌があるんです。」とのこと。それはいい!と
      早速レコードを聞かせてもらったところ、当時流行のまるで尾崎紀世彦の
      「また逢う日まで」みたいなベースがぶりぶり動く、ノリノリな曲・・・・。
      みんなで大笑いしながらも、結局公開講座のときに流しました(笑)

  2. こんばんは。

    今日はまじめにギターの練習いたしましたよ、はい。

    歴史は常に勝者のものですが、敗者はじつは巧みに、子守唄や民謡の中に歴史をのこしてくれておりますね。

    先生のお父様のご研究も拝読したいものであります。

    ぜひ、のりのりの大木町の子守唄を拝聴させてください。

    連投コメント、失礼いたしました。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

次のHTML タグと属性が使えます: <a href="" title=""> <abbr title=""> <acronym title=""> <b> <blockquote cite=""> <cite> <code> <del datetime=""> <em> <i> <q cite=""> <strike> <strong>

日本語が含まれない投稿は無視されますのでご注意ください。(スパム対策)