亡父との対話

 

今回、特に私的な話になることをお許しいただきたい。

 

父、松下志朗が亡くなって、まもなく一年が経とうとしている、、、、

という、音楽とはおよそ関係のない話なので、ご興味のない方はお読みにならないで結構で

ある。

 

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生前はその仕事ぶりや業績にほとんど関心が無かった私であるが、日常においてここ一年

”仕事人としての父”の影を、追うとはなしに追うている自分がいる。

 

父が亡くなった直後、生前の対話がいかに少なかったかをフォルクロリスタの木下尊惇氏に

告げたところ、

「亡くなってからの方が、むしろ対話がしやすい面もあります。」

 

当時、やはり画家であるお父様を亡くされて、まだほどもなかった木下氏のその言葉に背中を

押されるように、私も亡き父との対話を始め、今日に至っている。

 

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詩・文学の世界からスタートし、古文書研究、石高制研究、奄美研究、筑豊石炭史、九州被差別

部落史、ハワイ日系移民史、九州各県各市の県史・市史編纂、、、さまざまな挫折と試行錯誤の

末、”ひとりの郷土史家”と最終的に自分を位置付けた父の書斎には、まさに数限りないほどの

本が、、、。

 

「いるものは今のうちにもっていきなさい。あとは全部処分するから。」

母にうながされ、古本屋二件分は確実にあるだろう、というくらいの量の本の中から兄と私が

それぞれ選んだものは、笑ってしまうくらい傾向が違っていた。無意識のうちに兄は歴史関係の

もの、私はほぼ文学関係のものを選んでいた。

 

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まるで森の中を彷徨うかのような父の書斎であったが、父の仕事机の真後ろにあるガラス扉付き

の本棚だけは、父にとって”特別に神聖なもの”と感じさせる何かを漂わせていた。

それは父にとって聖域であり、まさに活動の原点でもあった。

私はその棚から”魯迅選集”の他、谷川雁、吉岡実、山本太郎、ボードレール、ラングストン・

ヒューズ、そして若い頃の父が自費出版で出した詩集を遺産分けしてもらった。

 

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生前、自叙伝『遠い雲~ある地域史研究者の足跡/松下志朗著(海鳥社)』を書き残してくれて

いた為、その足跡は比較的追いやすい。

だが本人が心底大切に思っていたはずの詩・文学との関わりの話となると、自叙伝のなかでも

ゴニョゴニョと、お茶を濁している感が否めないのである。

谷川雁氏が主宰する”サークル村”に参加し、《郷田良》というペンネームで、森崎和江、石牟礼

道子各氏と交流するなか、かなり積極的に詩を発表していた時期のことに関しては、大学の

文学部に在籍していた縁で結婚した母に対しても、生前全く話そうとしなかったらしい。

 

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本日二〇一八年二月十日、石牟礼道子氏の訃報に接し、心からお悔やみ申し上げたい。

『苦海浄土』などの著作を通じ、水俣の惨状と日本社会に対する警告を静かに続けた氏の活動

原点が、”踏みにじられたものと共に歩むこと”であったことは想像に難くない。

《郷土史家》という立ち位置ながらも、父の立脚している地面は、石牟礼氏のそれと同じだった

ことを、”死後の対話”が進むにつれ、強く感じる。

 

「中央支配層と地域を比較する方法で歴史を検討するのでなく、その土地その土地でのことを

個別のケースとして見つめるところから、見えてくるものがあるはずである。」

 

生前は仕事相手のみにそのような熱弁をふるっていたに違いない父が、ようやく最近になって

あの低い声で、私にはっきりと話しかけてくるようになった。

 

 

2018.2.10.

 

 

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亡父との対話 への4件のコメント

  1. S.Hongo より:

    石牟礼さんの訃報に、心から哀悼の意を表します。

    文学から、社会を批判する厳しい立ち位置で、長い年月戦ってこられた女史に敬意を表します。

    まだ学生の頃、石牟礼さんにお会いしました。
    何を書きたいか、何を伝えたいか、あなたの中で形になさい。

    この戴いた言葉は、永遠の宿題になっています。

    答えは、まだ見つけることが出来ません。

    • ryuji より:

      S.Hongoさま

      東北の震災以降、頻繁に使われるようになった《寄り添う》という言葉が、どうしても好きになれません。
      (私個人の好き嫌いなど、世間様にとっては本当にどうでもいいことなのは重々承知していますが、、、。)

      ご存知のように、石牟礼さんの人生は水俣に《寄り添う》などという生やさしく生ぬるいものではなく「踏みにじられたひとたちの中に分け入り、共に哭き、共に笑い、共に憤り、共に生きる」という壮絶なものでした。

      『石牟礼道子と水俣』『森崎和江と筑豊炭鉱夫、からゆきさん』『木下夫妻と福島』そして『松下志朗と九州被差別部落』。
      これらの存在すべてが、同じメッセージをわたしに警告し続けるのです。

      !他者の痛みに対して鈍い人間にだけはなるな!

  2. S.Hongo より:

    寄り添う

    語感がよく、自分を満足させてくれる、倖せな言葉です。

    私は、そんな言葉に違和感しか覚えません。
    かといって。石牟礼さんや、木下様ご夫妻、そうして、松下先生のような生き方は、とても出来ません。

    だから、知りたい。記録を読み、記憶し、虐げられる小さな人たちのことを、自分の言葉で、何かしら形にしたいと思います。

    お父上の著作で、奄美大島の債権奴隷の資料を、やっと本日見つけました。

    いつか手に入れ、読みたいと思います。

    • ryuji より:

      木下さんはともかく、わたくしなんてとてもそんな立派なものではありません。

      父の著作、お気にかけていただき誠に有難うございます。
      奄美も沖縄とは別の過酷な歴史を背負っていますね。
      若い日の父が高校の教員をしていた奄美大島、いずれ必ず訪れてみたい場所のひとつです。

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