内側と外側

 

先日の発表会が終わった後、生徒さんのおひとりである松下優さん(親戚ではありません)

から大変おもしろい内容のメールを頂戴した。

氏は今回の発表会を、ご自身にとっての”実験の場”と定め、「計画していることの成果が出た

あかつきには、きちんとレポートしまーす(笑)」とかねてから宣言されていた。

ちなみに当日はトリに近い待ち時間ながら、いつも以上にしっかりと落ち着いた感じでステキな

演奏を聞かせてくださった。

 

後日戴いたレポートの内容が興味深く面白い内容だったので、ご本人のご承諾を得、以下に掲載

させて頂く。

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私の方は今回得るものが多かったです。
《アマチュアとしての演奏前の心得》をまとめました。

<家を出るとき>
1,すべてを受け入れる覚悟を決める。
2.不完全なものを一つ身につける。
(演奏以外のものをパーフェクトに準備しない。例えば
靴をピカピカに磨かない。穴の開いた靴下とか・・・。)
3.7割を確実に目指す。

<途中>
4.演奏の20分くらい前に、甘いものを食べる。
(今回は「一本満足バーシリアルブラック」糖質80%オフ)

<演奏直前>
5.直前の楽譜チェックよりも、爪磨き!と爪の先への少しの油分。
6.高鳴る鼓動に合わせて酸素を十分に体に吸わせ体を解す。
(吸った息はゆっくり体の外に感謝して送り出す。)
7.手にかいた汗をウエットティッシュで拭いて、心拍数の増加に
伴って、どんどん冷えてくる指先を、体の温かい部分で暖める。
8.「小籠包」のことを考える。
(会場の近くの、美味しものを何か思い浮かべて、まじないにす
る・・・今回はキャナルシティの南翔饅頭店の小籠包)
9.一曲およそ300秒、とにかく丁寧に演奏することだけに集中する。
(これは今回、演奏の後に強く感じました・・・)

<一番最後に>
10.ズボンのチャックを確実に・・・確認する。

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どうです、興味深い内容でしょ?(笑)

 

私が個人的に感銘を受けたのは、項目の2番目

『不完全なものを一つ身につける』

いやー、最近本当に思うのですよ。敢えてすき間(あるいは隙)を作ることの大切さを。

敢えて矛盾を放置することによる空間の豊かさと広がりを、、、。

とはいえ、私の場合、地でやってしまってることの方が多いか、、、(汗)。

 

ここまでご自身の内側を冷静に見つめ、掘り下げたそののちに、この第二項目を掲げる意味は

とても大きいと思う。人生の先輩からは学べることがいろいろあるなぁ、、、。

ごっつぁんです!ありがとうございましたー。

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”永世7冠”を達成した羽生さんがご自身を評し「(将棋そのものを)本質的にはわかって

いない」とおっしゃったのもすごいと思う反面、正直なところだろうな、と感じる。

八十一マスの盤上が、おそらく羽生さんにとっては宇宙のような広がりを持っているものに違い

ない。同い年の羽生さんであるが、ご自身の内面に向かうエネルギーと外面に向かうエネルギー

が、一体どのような感じでリンクし、共存していらっしゃるのだろう?

凡人の私には想像もつかないが、実は意外に”すき間”が多く、それがゆえに自在に動けたり

なんかして、、、(笑)。

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今回の「日馬富士騒動」。マスコミのいいかげんさ、コメンテーターの無責任さにこのたびも

ウンザリだったが、報道が錯綜する中で私がもっとも引っかかったのは、”モンゴル出身力士”

という括りに対し行われた、一般からの(過激とも思える)排外的コメントである。

世間の多数を占めているとは思えない意見(感情?)だが、「東京国際ギターコンクールの

本選には外国人ばかり」という不満と、本質的に大して変わりがない。

日本人力士が負けている状況が悔しいのはわかるが、それによって「モンゴル人力士いらね

え~!」となるより「日本人力士ももっとがんばれ!」ってなる方が健全な気がするけど。

”白鵬の物言い”などについては、別の個人的問題として冷静に分けて考えた方がいいだろう。

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”ナショナリズム”というのは、非常に多様性のある”もろ刃の言葉”であることは歴史を見ても

わかるが、私は健全なナショナリズムについては大いに歓迎したい。

 

《ナショナリズムというと、とかく八紘一宇やドイツ民族の優秀性といった偏狭な国家主義が想起されがちだが、ナショナリズムとは、本来的には、自由で民主主義的な自分たちの国を愛する精神、それは同時に他の国々の国民の生命や自由をも尊重するという精神に力点があることを忘れてはならない。誇るに足る国家を形成し維持・発展させていくことこそが真のナショナリズムの精神といえよう。》

~日本大百科全書(ニッポニカ)解説より~

 

北朝鮮についても「対話の時期は終わった」と強調する排外主義的コメントが、通称ネトウヨに

よって繰り広げられているが、『自分が殺される可能性』を想像する力が、彼らからは欠落して

いるとしか思えない。もしくは国家権力から守られることもなく、逆に犠牲となっている

”北朝鮮の一般市民の生活”を破壊してしまうかもしれない可能性を想像することが、彼らは

出来ない(もしくはどうでもいい)ようだ。

国家はそれぞれの国民を守るため、なにがあっても他国との対話の機会を投げてはいけない。

と同時に、国家権力間での争いに市民が巻き込まれるのは世の常であるが、市民の側としては

せめて火に油を注ぐ行為や言動はつつしまなければいけない。

自然死や病死、最悪の場合自殺はあっても、人間、他者から殺されることを望むひとはおそらく

いまい。

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【他者に敬意を持つため自己を見つめて掘り下げる】

 

《音楽》《スポーツ》《美術》などは、本来そういったことに気付く為に存在しているはずだ。

有名無名に関わらず、私がこれまで出会った「素敵なミュージシャン」というのは、目の前の

他者に対し、あたたかい眼差しを持っている。

だからこそ彼ら彼女らは《素敵な音楽》が奏でられるのだ。

 

(おわり)

 

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