ここ最近の出来事(その3)

今年はブログのコンサート情報に告知してなかったが、この時期毎年恒例の久留米大学公開講座

「ギターと共に楽しむ筑後の文学」(全4回)が昨日滞りなく終了した。

 

久留米大学文学部教授の狩野啓子先生とタッグを組んで始まったこの講座も今年で十四年くらい

なるのかな?(数勘定が苦手なぼく)

今年は久留米の詩人、文筆家である故丸山豊氏を採りあげて行なった。

ギターソロとして演奏したもののみ以下に列記。

 

第一回目/九月六日(水)

《修練の時代》

*エチュードNo.8,9(M.カルカッシ)

*エチュードNo.1(H.ヴィラ=ロボス)

 

第二回目/九月十六日(土)

《戦争の時代》

*くちなしの花(小栗孝之)

*エチュードNo.1(M.C.グァルニエリ)

*颯(はやて) Rafaga(J.トゥリーナ)

 

第三回目/九月二十六日(火)

《ギター音楽に見る日本らしさ》

*念誦(武井守成)

*破れたガラス戸(武井守成)

*祖母の昔語り(武井守成)

 

第四回目/十月一日(日)

《丸山豊と同時代の音楽》

*アルミーダ(A.ラウロ)

*浜辺の歌(成田為三/松下編)

*颯(はやて) Rafaga(J.トゥリーナ)

 

なお第四回目のみホールを使用し、ピアニスト岸本麻子氏と特別ゲスト岸田将幸氏(文筆家、

詩人)をおむかえして、特別枠として開催された。

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私は詩の世界がまだよくわからない。

 

以前吉増剛造氏の若い頃の詩「朝狂って(1970)」の中の一節”全音楽はウソッぱちだ!”

の言葉にショックを受けたことがある。

音楽家として否定したくても否定できないほど、その言葉が誠実なところに根差しているのが

伝わってきたからである。

その後、こう考えるようになった。

「私が”言葉”というものに対し、信頼して(あるいは絶望して)全身で飛び込んでゆくことができないのと同じように、吉増氏も”音楽”というものに対してそうなのか?」

だが一方で、この詩人は”音楽”にではなく、むしろ”おと”というものに対しては音楽家以上に

鋭敏かつ繊細な感覚をお持ちのようだ、ということがその後の追跡でよく分かった。

 

 

ともかく私は詩というものを生活の中から遠ざけ続けた。

 

 

今年三月に亡くなった父の遺品を整理していると、部屋のある一角に詩に関連する本が固めて

あることに気が付いた。谷川雁はかろうじて知っていたが、吉岡実、山本太郎、ラングストン・

ヒューズ等私にとって未知の詩人たちの詩集に交じって、なんと父が若い頃に自費で出した

詩集も出てきた。

<詩の世界>というものに対する父の”あこがれの強さ”に驚くと同時に、その憧れを何十年も

維持していたこと自体に父の”執着の強さ”を感じた私は、今少しずつではあるがそれらを

読み始めている。

 

父という人間をいまさらながら理解するために、、、。

 

(おわり)

 

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