ハネるか、ハネざるか、、、(あるいはどっちでもいいか)~その2

 

いやあ~、、、、すごかった、、、死ぬかと思った、、、。

 

27日(金)28日(土)と二晩連続であった田口悌治プロデュース『福岡ジャズギター

サミット』のことでんがな、、、。

二日間で延べ百人以上のお客様が入り、イヴェントとして大成功であった。

初日は【4人の若者ギタリスト・デー】で、客席で観ていた私が自信を喪失するのに充分すぎる

ほどの白熱の演奏が繰り広げられた。

そして私出演の二日目は【4人のおじさんギタリスト・デー】なだけに、前日よりは穏やかな

雰囲気が漂ってはいたが、その熟練度たるや、もう、、、あは、あは、あはは、、、。

ちなみにこの日のギター出演者最年少は私でした。そういうシチュエーションってなんか

すご~くひさしぶりでうれしー。

 

 

ステージ場外で印象に残ったお言葉がふたつ。

 

打ち上げで鍋を囲みながら、師匠がおっしゃった。

「出演者全員がそれぞれ強烈な個性を持ちながらも、プレイがボクに似ていないことがなにより

嬉しいです」

 

もうひとつは【ひとにアドヴァイスするということ】についての話の最中、師匠が引き合いに

出したビル・エヴァンスの言葉

『ぼくが教えすぎてしまうことによって、《自分自身で気が付き、自分自身で発見するよろ

こび》を、そのひとから奪ってしまいたくない』

 

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前回の続きである。

ハネて演奏することをジャズでは”バウンス(bounce)”という。

「雨だれ(G.C.リンゼイ)」の2ページ目、”ピウ・モッソ”部分、バウンスで弾いてみました

か?

「いままでしっくりこなかったけどバウンスすることで初めてしっくりきた」

という方がおひとりでも居てくださったら幸いである。

 

 

ちなみにこの曲を弾くときには「クラシックギターのソロ曲を弾いている」というこころもちで

演奏しないことが肝要である。

何かの手違いでか、あるいはもののはずみでかクラシックギターの曲集や教本に紛れ込んで

しまっているものの、この曲はあきらかにカントリー・ミュージックもしくはアメリカン・

フォークであり、クラシックではない。

現在でこそ生没年がハッキリしているが、作曲者のリンゼイは本当に長い期間にわたり、ギター

界にとって”なぞのひと”だった。最近の歴史研究によると、幌馬車でギターの小物類を

行商販売しながらアメリカ大陸を行ったり来たりしていた人らしい。まるで年代物のアメリカン

映画のワンシーンみたい、、、まさにカントリー・フォークな世界ではないか!

 

 

「金鳳花ワルツ」「東洋風奇想曲」の作曲者でもあり、アメリカギター協会を立ち上げた功労者

でもある女流ギタリストV.O.ビックフォードと若干接点があったようで、その関係でクラシック

ギターの曲集にその作品『雨だれ』が組み込まれることになったのではないか、と私は踏んで

いる。

 

 

とにかく実際バウンス(あるいはスウィング)してみて、その結果に満足された方は、とり

あえずここまでで結構。

ハネて演奏してみてしっくりきたものの、逆にその”しっくりき過ぎ感”が気になった方のみ、

この先の内容にお付き合いいただきたい。

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この曲「雨だれ」をきっちりハネて弾いた時、なんとなく音楽そのものが幼児化したというか

低年齢化したのを感じなかっただろうか?読者を巧みに誘導している気がしないでもないが、

とにかく本音で話をしようぜ。まるでエビスビールのような世界だと感じないか?(あるいは

” あめあめふれふれかあさんが~♪ ” みたいな、、、)

 

つまりああいったCM用音楽やBGMであれば別に『音楽の幼児化』はさほど問題はないのだが、

プロのミュージシャンがコンサートで採りあげる場合にはそうも言っていられない。

ちなみにエビスビールで使われているのは映画音楽『第三の男』という曲であるが、これは

普通にハネるだけの演奏だと、ただの「陽気」で「幼稚」で「アホ」な音楽にしかならない

(今日のオレ、ひどい、、、笑)。

 

まずはオリジナル(A.カラス)の微妙な ”ハネ加減” もしくは ”ハネない加減” に耳を傾けて

みよう。

 

お聞きいただける通り、伴奏もメロディーもこの曲の《潜在的リズム》は常にハネている。

だがそのハネたノリの中であえてイーブン(均等)に弾いているところがあるのがわかるだろう

か?その瞬間、演奏はルバートであり、語りのようでもある。つまりノリの存在を知りつつも

ノリに縛られることなく、そこから解放され、自由なのだ。

「ハネる」「ハネない」この相反するふたつの要素が同時に含まれる、という理不尽な状態が

《この世の現実》であり《大人の世界》なのである。

そういえば、昨年はギタリスト池田慎司さんと共に(彼の編曲で)この曲『第三の男』の本番

演奏をずいぶんさせて頂き、《世の理不尽さ》と《大人の世界》をずいぶんと堪能させて

もらった(笑)。

 

 

リンゼイの『雨だれ』もそういったアプローチ(バウンスとイーブンの使い分け)で取り

組めば、ずいぶんと楽しめる余地のある曲じゃなかろうか、、、。

 

 

「どこをハネてどこをイーブンで弾くのが ” センス良い演奏 ” ですか?」

 

そのように質問したいそんなあなたに、最後になるが、すてきな言葉をお贈りしてお別れ

しよう。

 

 

『ぼくが教えすぎてしまうことによって、《自分自身で気が付き、自分自身で発見するよろ

こび》を、そのひとから奪ってしまいたくない』(ビル・エバンス)

 

 

(おわり)

 

カテゴリー: エッセイ, 明日のギター演奏の為に, 暴論的持論, 観てみて動画   パーマリンク

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