沈黙は金、、、?

 

フランスに初めて行った時のことだ。

スイスとの国境近くの山村《モルジーヌ》で、約一ヶ月間に渡る音楽講習会に参加すべく日本

から参加した当時23歳の私は、(今とは違い)シャイでナイーヴな青年だった。

そんな私のパリについてからの立ち振る舞いは、講師である関西人、福田先生から見ると

全てが野暮ったく、笑いネタとして恰好の餌食となった。

 

 

パリ到着翌日の朝、ホテルで朝食をとるべくレストランに入った。

テーブル席に着いた後、目の前に”お冷”を置かれた私は、黙って頭を下げた。

それを見ていた福田先生は思わず吹き出してこうおっしゃった。

「なんや、お前、まるでサムライみたいや。メルシーとかサンキューとかなんか言えばええのに

ほら、ウェイトレスのネエサン向こうでワロウてハルわ!」

「おまえ、ほんま日本人やなあ、、、ヨーロッパ人から見たら不気味やで。意思表示は

ハッキリせなあかん。それがこっちの文化や。」

そのようにご指摘を受け、自分の行動を恥じると同時に、ああ、なるほど、、、これが

ヨーロッパか、、、。でもどっちかというと『文化の違い云々』より自分の『キャラクター』

に関わる問題のような気がするぞ、、、。もっと社交的な人間にならないとやっていけないの

かな、この国では、、、、。

その後一年住んでみて解かった。

果たして福田先生のおっしゃる通りだった。

 

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話が唐突に変わって、音楽の話である。

【フェルマータ】という記号がある。

時代によって意味するところが微妙に変わってくるが、一般的には響きなどを「延長する」

時に使われる記号である。

起源的なことを辿ってゆくと「停止」「終わり」などの言葉に行きつく(あのシンボルは

一日の終わり『日没』に由来するらしい)。

それはさておき、クラシックの譜面を見たことのある方ならご存知の方が多いと思うが、

いわゆる『休符の上につけられたフェルマータ』についてである。

 

 

なんせ”休符”の上についているのだから、世の音楽講師は「はい、そこは無音の時間を

しっかりと味わいましょう」「身動きしてはいけません」「息をしてはいけません」などと

果たして言うのかどうかは知らない。実際皆様どのようにご説明されるのだろうか。

音楽を生業としながらも私にはどうにも腑に落ちない、というか長いこと『未解決の問題』

なのである。

 

《休符の上にフェルマータ??》

 

勿論ほかにも(例えばバロック時代などは)最後の複縦線の上に付いてるケースなどもあるが、

この辺の話は古楽専門の識者の間で、既に結論も出ていることであり、今日お話するのは、

主に古典時代のギター曲の中に登場する《休符の上のフェルマータ》についてである。

 

 

ここで冒頭の話を思い出していただきたい。

ヨーロッパ人の文化の象徴である”クラシック音楽”において、「沈黙を味わう」などという

日本的ワビサビ感覚を、19世紀当時のヨーロッパ人の感性が求めるものだろうか?

よくわからないので、ここはひとつ自分の直観と本能に従い、大胆な推論を立ててみた。

ちなみに何の【根拠】も【裏付け】もないので、よって【責任】も持たない(笑)。

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《このたびの暴論的持論》

【休符上のフェルマータ】ではカデンツァをおこなう

 

 

うんうん、きっとこれにちがいない、、、。

いや、より細かく言うと「カデンツァをやれ」もしくは「カデンツァをやってもいいよ」と

いうことかもしれない。ちなみにここで言う「カデンツァ」とは終止形(ケーデンス)のこと

ではなく、”名人芸的即興”のことである。つまり当時の譜面において即興が許される部分が

ここ《休符上のフェルマータ》ではないだろうか。

no.18特大もちろんカデンツァといっても、この曲の場合は生徒さんの練習目的の曲なので、” E もしく

は E7 ” のコード・トーンを下から上にのんびりゆっくりアルペジオするだけでもOKだと思う。

ロシアの思い出上記はF.ソル最後の作品「ロシアの思い出」序奏から変奏のテーマに入るところであるが、

休符フェルマータの箇所で 1st. もしくは 2nd. いずれかのギターが、” B もしくは B7 ”による

カデンツァを披露していたのではなかろうか(でないと沈黙がいちいち多過ぎません?)。

そもそも《慎ましい沈黙》と《饒舌華麗な雄弁》どちらがヨーロッパ民族のキャラクターに

似合うだろうか(すごいレッテル貼りだなあ、、、苦笑)。

 

 

パウゼによって生まれる空白効果というものは、私はまた別のものだと考えている。

それらは「沈黙を味わう」というよりは「雄弁にしゃべっていた語り部が、突如口を塞がれた」

かのようなニュアンスが求められていると思う。

私が言っている《休符フェルマータ=カデンツァ説》は、自分としては古典時代の作品に特に

しっくりくるが、ロマン派以降の作品には従来の「沈黙は金」が当てはまるかもしれない。

だがこれらのこともすべて私のいい加減な勘であって、何の学説的根拠も無い”たわごと”で

あることを重ねて申し述べておく。

 

ロマンス上記は私の知る唯一の「休符フェルマータ・カデンツァ」が明記された譜例である。

 

Op.34-2 (2)上記の譜例はギター・デュオ定番曲である F. カルリの「ラルゴとロンド」であるが、この曲は

特に《休符上フェルマータ》が頻発し、いちいち曲の流れを途切れさせる。

今年の一月、大阪在住のギター奏者である松崎祐典氏と共演した際、休符フェルマータごとの

《交代カデンツァ》を提案し、実験的に過剰なくらいやってみたのだが(松崎さん、乗ってくだ

さってありがとう!)、曲のタイトル通り「対話風」な感じがより強調され、個人的には面白い

結果だった。

 

 

暴論の最後になるが、”カデンツァ” というものの定義や規則については、私もいささか不勉強

ではある。大阪のギタリスト、岩崎慎一さんからその後「 ”アインガング” というものも

当時ありますね。」と教えて頂き、それに関する著述に目を通してもみたのだが、いかんせん

アタマが悪すぎて理解できないままである。

今回ただの可能性のひとつとして話を聞いていただいたが、古典曲の即興カデンツァの魅力的な

演奏例として古楽ヴァイオリンの名手 Monica Huggett と ギタリストRichard Savino による

アルバム「Giuliani & Paganini: Duets for Violin and Guitar」をぜひ聴かれることをお薦め

したい。

 

2016.12.05.

 

カテゴリー: エッセイ, 明日のギター演奏の為に, 暴論的持論   パーマリンク

沈黙は金、、、? への2件のコメント

  1. t.yoshimoto より:

    音楽的な感性と理論に乏しい私は難しい話は遠慮させていただくとして、単純に休符の上のフェルマータは  ”聞いている皆さん今までの音楽を振り返リましょう” ”此処までで余韻を感じてください” ”此処で主旋律を味わいましょう” ”此処で一息ついて” という風に思えます

    • ryuji より:

      yoshimotoさま

      なるほど、詩的な表現です。お人柄が出ますね。
      現代の作品ではそれはあるでしょうね。
      わたしは「時代によって意味が変化した可能性」に興味があります。

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