『セゴヴィアへのオマージュ』にむけて(その2)

 

ちなみに私はセゴヴィアの生演奏を聴いた経験がない、、、。

 

 

もちろん私の周りには古の福岡公演をはじめとし、生の演奏を聴かれた方が数多くいらっ

しゃる。

私のひとつ上の先輩ギタリスト、岩崎慎一さんはご幼少の砌、入会して間もないギター教室の

先生からすすめられ、お母様に連れられ『セゴヴィア大阪公演』を聴きにいかれたそうだから、

おそらく生演奏に接した一番若い世代に当たるだろう。

 

そういった諸先輩方を差し置いて、なぜ私のようなものが「セゴヴィアすきすき~」と屋根の上

から叫ぶ必要があるのだろうか?

 

ひとつには、若い世代でセゴヴィアの演奏や業績に興味を持つ人が減りつつあるのでは、、

という”取り越し危惧”。

私に言わせれば、セゴヴィアという存在はギター界にとって好き嫌いを通り越した

”ひとつの大きな出来事”なのである。

これは「セゴヴィアを祭り上げたい」とか「権威づけたい」というものとは無縁のものだ。

私自身そういうのキライだし、、、。

所謂”ただの事実”を「時々確認したい!」「それだけだ!」(橋本風)

 

 

もうひとつには「第一線で活躍されてある有名ギタリスト」と、いわゆる私のような「あなたの

街の地方(痴呆)ギタリスト」とは、その”社会的役割”が根本的に違うと思うのよね。

これは別にひがみではないぞ(笑)。

 

この度のリサイタルは《休憩無し》《MC有り》《アンコール無し》というスタイルで行う予定

である。プログラムは以下の通り。

 

*ふたつの練習曲 Andantino cantabile Op.31-21、Allegretto Op.35-22 (F.ソル)

*Armida、La Negra (A.ラウロ)

*Nortena(J.G.クレスポ)

*Capricho Arabe (F.タレガ)

*Segovia (A.タンスマン)

*Tiento (H.ハウク)

*Balleto(M.M.ポンセ)

*Prelude No.3、No.1 (H.ヴィラ=ロボス)

*Rafaga(J.トゥリーナ)

 

最近の自主企画でよくやっているスタイルだが、コンサートの頭に【プロローグ】、コンサート

の終わりに【エピローグ】の名目で、F.M.トローバの小品を一曲ずつ演奏する予定。

 

「トイレは先に済ませておいてくれ」

「それだけだ!」

 

(おわり)

 

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『セゴヴィアへのオマージュ』にむけて(その1)

 

来たる11月26日(日)福岡市内の”ぽんプラザホール”にて

『2017年度松下隆二ギター教室発表会』

を開催いたします。

 

ソロ、デュオ、トリオ、合奏とバラエティーに富んだ演奏形態で今年もお送り致します。

現在、”夏の合宿”と”冬の発表会”がうちの教室の年間スケジュールの二本柱となっていますが、

2012年春からスタートした”唐人町ギター教室”の生徒さん、そして私が小学生の頃からお世話に

なってきた”ヨシダ楽器ミュージックスクール”に現在在籍の生徒さん、今年も皆様の熱演、

たのしみにしてまっせ~!

 

ちなみに開演11:00、終了予定14:00の入場無料なので、お時間ある方、ぜひぜひご来場

お待ちしております。

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その後、同じ日、同じ会場で、16:00から一時間ほど休憩無しの

『松下隆二じゃいあんリサイタル』

をおこなう予定である。こちらは有料(一般2,000円/高校生以下1,000円)。

 

しかしチケットは存在しない。

前売り、当日の区別もない一律料金。

つまり「このあいだレッスンの時、先生に『是非聴きます』って言っちゃったけど、発表会

終わって疲れたし、お腹もすいたので、やっぱり聴かずに帰ろうか、、、」

という生徒さんの気持ちの変化も考慮かつ尊重した上での配慮である。

なんてやさしいんだ、”マツシタじゃいあん”、、、。

 

しかしホールでの”ソロ・リサイタル”は、考えてみるとかれこれ20年ぶりだ。

なんでこんなにあいだが空いたんだろう?

「ギターという楽器はホールよりサロンの方が合っているのではないか?」

という考えが、自分の根っこにおそらくあるせいだろう。

ちなみに1900年代初頭、サロン楽器であったギターを、大ホールに引っ張り出したのが、

スペインの巨匠、アンドレス・セゴヴィア(1893~1987)であったのは周知の事実である。

今回のリサイタルはその”セゴヴィア”をコンセプトにした。

 

前半はギタリスト作曲家による『セゴヴィアが愛奏した小品』『セゴヴィアに献呈された小品』

を、後半は一般作曲家によるセゴヴィアゆかりの作品を中心に演奏する予定である。

 

今回のプログラムを並べて弾いてみて、あらためて感じたことがある。

《ギタリストの曲》はプライヴェートな内容のことを公の場で話している感じ。

いわゆる”打ち明け話”のような、、、。

一方《作曲家の曲》はパブリックな内容のこと(政治、経済、宗教、哲学など)をまるで個人に

語り掛けているような感じ。

 

それと同時に、久しぶりにソロ・リサイタルへの取り組みをやっていて、よみがえってきた感覚

がある。アンサンブルと違い、暗譜でいくのだが、一旦覚えたはずの曲があっちこっち雨漏り

し出す感じ、、、(笑)。

いわゆる”雨漏り(ど忘れ)修復作業の大変さ”である。

 

あと他には、リサイタル当日まで日々生活する中、つねにそれらの曲のことを考えてしまう、

要はアタマの中が常に支配される感じ、、、そして不安を取り払うための練習、、、。

 

そう考えると、”リサイタルの練習”というのは、あくまでその日の安眠を得たいが為のことでは

ないか、という気さえしてくる。なぜなら翌朝目が覚めると、やはり昨日と同じように不安なの

だから、、、。

 

一方で曲との関係は、あたかも一本の映画を製作する”チーム・スタッフと俳優”のような関係

でもある。クランクインからクランクアップまでの一時期を、家族のように共に過ごす間柄と

でも言おうか。

だから一度リサイタルを共にくぐり抜けた曲と演奏家とは、やはりそれまでにない親密な関係が

築かれることになる。

 

(つづく)

 

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一回きりの提言

 

 

生徒さんとの一回一回のレッスンを大切にしようと常日頃心がけている。

 

 

私の場合「ギターをひきたい」「ギターを上手くなりたい」「ギターあるいは音楽を楽しみ

たい」という生徒さんには責任を持って全力でサポートさせて頂くが、「その気がない」

もしくは「その気がなくなった」方については、どうにもサポートのしようがない。

「興味のないひとに興味を持たせる」といったマジックは持ち合わせていないのである。

 

 

ペースはひとそれぞれあるので、向上のスピード等については当方はいささかも気にしない。

要は《生徒さんの意識(気持ち)》だけが私にとっては最重要事項である、、、。

 

 

ここから先の話はシビアな話なので今回一回きりにしたい。

ギター講師生命に関わる話題であるが、他楽器も含めた同業者(音楽講師)が集まるとかなりの

頻度で話題になる内容である。

 

 

そんなに危ないなら、私もしなければいいのにね(苦笑)。

教室と生徒さんとの関わり方についての提言。

嗜みが無いのでこのたび口にしよう、、、、、、、、。

 

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【風邪をひいたらプリーズ・ドント・カム!】

 

「風邪をひきました。ゲホゲホ、、、」と言いながら教室にくる生徒さんのお気持ちが、

ギター講師業を始めて二十年以上経つ現在も私にはさっぱりコンプラン・パ。

こちらにうつった後の、他の生徒さん達のレッスン振り替えなど、多くの他者への影響が生じる

現実を分かってほしい。

あとコンサート当日を風邪でむかえるのはミュージシャンにとってモスト・バッド・シチュ

エーションだということをイマジンして欲しい。

 

それからレッスン振り替えがきかない教室運営システムの場合(唐人町教室はききますよ♪)、

「モトをとれ」

と言わんばかり、高熱の子供を送り込んでくる親御さんにも再考を要求したい。

ギター講師に人権はないのか!(ああ、ないのね?、、、失礼しました)

 

 

【歳のせい?】

 

思い通りいかないのを「歳のせい」という決まった結論に持っていく人のなんと多いことか。

そりゃあ現在の私に六十~七十代の心と体の状態が分かるはずはない。

でもものごとをいっさい「歳のせい」にすることなく、着実に向上している六十~七十代の

生徒さん達も同時に見てきていると、「歳のせい」というのが何とも言い訳にしか聞こえない

のよね。

こちらが掲示したアドバイスを実行するよりも「歳のせい」にした方がそれは楽に決まって

いる。

でも原点に戻って考えて欲しい。

《楽しみたくて》ギターを始めた訳であって、《楽をしたくて》ギターを始めた訳ではない

はずだということを、、、。

繰り返しになるが、ペースはひとそれぞれでいけばいい。

 

 

【月謝のお釣り】

 

これは私自身はあまり気にしていなかったのだが、割と多くの同業者が口をそろえてブツブツ

言っていたので、軽く採り上げておく。

 

彼ら、もしくは彼女ら曰く

「月謝でお釣りを要求されたらイラッときます」

つまり額はあらかじめ分かっているので、事前に準備出来ることでしょ?ということである。

たしかに昔の”習い事”とは違う感覚で、スーパーで買い物をするかのようにお釣りを要求される

とガクッとくるのだろう(苦笑)。

それに関して私はさほど気にしてはいなかったが、、、。

生徒さんの4~5割は、毎回キチッとピン札でお持ちになるので、むしろそちらのほうに恐縮

していたくらいである。

 

要はジャパニーズ・レッスン的マター・オブ・リスペクトって感じの話?(ムチャクチャ

や、、、)

 

 

【発表会出演者は他の人の演奏を聴こう】

 

退屈かもしれない、、、。

でもひょっとしたら自分が弾きたい曲に巡り会えるかもしれない、、、。

それはあなた次第である。

 

私の考え方の一番根っこにあるのは、自分が演奏して拍手を戴いたのだから、他の出演者にも

同じように返すべきだ、ということ。

うちの教室の発表会は、楽屋での練習や指慣らしは極力お断りしている。

生徒さん達にとってはきっとシビアな状況にちがいない。

でも前提としてかなり定着してきているのは嬉しいし、この場を借りてお礼を申し上げたい。

 

 

【レッスンにおけるアドバイス】

 

「言われたことを一週間一所懸命やってきたのに、そんなことは前回言わなかったじゃない

ですか!」

と言い放ち、憤然と辞めていった生徒さん(六十代男性)がそういえば最近居たなあ。

 

ちなみにその方は、その前のレッスンの時に

「あんまり一度にたくさんのことを言われるとわけが分からなくなる」

と、おっさっていたなあ、、、(苦笑)。

 

始めて3カ月くらいだったから、まだまだノビシロあったんだがなあ、、、。

 

 

我々講師は《その時その生徒さんに最優先で必要だと思われること》をお伝えするのが仕事

なので、「前回は言わなかったこと」や、場合によっては「前回言ったのとは真逆なこと」も

言ったりする。

自分の保身よりも生徒さんの向上を最優先するのが講師として誠実な姿なのは言うまでもない。

言うまでもないはずだが、「先生っていい加減」と思う人もやはりいらっさるのである。それが

ワールドってもんだ、、、。

しかしたとえどんな形にしろ、生徒さんが辞めていくのは心がぎゅっと苦しいものである。

 

これを読んで憤然と辞めていく生徒さんがいたとしても、願わくばそのひとが長くギターを

続けていかれますように、、、。

 

 

 

そんなに心配なら書くなよ、、、俺(笑)。

 

2017.10.25.

 

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意識更新月間

 

毎年10月は私にとって「意識更新の月」とも言える。

今まで自分の中で持っていた意識が改革されたり、あるいはより深く確信したり、一年の中でも

そういったことがここ数年自分の中でおとずれる月となっている。

 

 

一方で「当たり前のことを当たり前にやり続けるだけの期間」というのも大切ではないか?

という気が最近はしている。

そういう期間を一定量過ごした上で、時々それらに対して”なぜ?”を投げかけるとよいのかな。

 

 

ここ数年のあいだ自分の活動については、とにかく”変化””前進”ということを目標としてきた。

(実際何処まで出来たのかはわからない)

 

 

これからは”変わらずやり続ける”ということも活動指針のひとつとしてとり入れてゆきたい。

自分の”変化”や”前進”に強い意味を持たせるべく、、、。

 

 

年間の活動を経て、この10月に直感的に感じた個人的な感覚の話である。

 

 

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ここ最近の出来事(その3)

今年はブログのコンサート情報に告知してなかったが、この時期毎年恒例の久留米大学公開講座

「ギターと共に楽しむ筑後の文学」(全4回)が昨日滞りなく終了した。

 

久留米大学文学部教授の狩野啓子先生とタッグを組んで始まったこの講座も今年で十四年くらい

なるのかな?(数勘定が苦手なぼく)

今年は久留米の詩人、文筆家である故丸山豊氏を採りあげて行なった。

ギターソロとして演奏したもののみ以下に列記。

 

第一回目/九月六日(水)

《修練の時代》

*エチュードNo.8,9(M.カルカッシ)

*エチュードNo.1(H.ヴィラ=ロボス)

 

第二回目/九月十六日(土)

《戦争の時代》

*くちなしの花(小栗孝之)

*エチュードNo.1(M.C.グァルニエリ)

*颯(はやて) Rafaga(J.トゥリーナ)

 

第三回目/九月二十六日(火)

《ギター音楽に見る日本らしさ》

*念誦(武井守成)

*破れたガラス戸(武井守成)

*祖母の昔語り(武井守成)

 

第四回目/十月一日(日)

《丸山豊と同時代の音楽》

*アルミーダ(A.ラウロ)

*浜辺の歌(成田為三/松下編)

*颯(はやて) Rafaga(J.トゥリーナ)

 

なお第四回目のみホールを使用し、ピアニスト岸本麻子氏と特別ゲスト岸田将幸氏(文筆家、

詩人)をおむかえして、特別枠として開催された。

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私は詩の世界がまだよくわからない。

 

以前吉増剛造氏の若い頃の詩「朝狂って(1970)」の中の一節”全音楽はウソッぱちだ!”

の言葉にショックを受けたことがある。

音楽家として否定したくても否定できないほど、その言葉が誠実なところに根差しているのが

伝わってきたからである。

その後、こう考えるようになった。

「私が”言葉”というものに対し、信頼して(あるいは絶望して)全身で飛び込んでゆくことができないのと同じように、吉増氏も”音楽”というものに対してそうなのか?」

だが一方で、この詩人は”音楽”にではなく、むしろ”おと”というものに対しては音楽家以上に

鋭敏かつ繊細な感覚をお持ちのようだ、ということがその後の追跡でよく分かった。

 

 

ともかく私は詩というものを生活の中から遠ざけ続けた。

 

 

今年三月に亡くなった父の遺品を整理していると、部屋のある一角に詩に関連する本が固めて

あることに気が付いた。谷川雁はかろうじて知っていたが、吉岡実、山本太郎、ラングストン・

ヒューズ等私にとって未知の詩人たちの詩集に交じって、なんと父が若い頃に自費で出した

詩集も出てきた。

<詩の世界>というものに対する父の”あこがれの強さ”に驚くと同時に、その憧れを何十年も

維持していたこと自体に父の”執着の強さ”を感じた私は、今少しずつではあるがそれらを

読み始めている。

 

父という人間をいまさらながら理解するために、、、。

 

(おわり)

 

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